霧雨の降るあの街に

2023-10-23 17:00:00

正中 麻侑生


旅で、信州のある街を訪れた。どこか欧風の雰囲気をたたえる街であった。北アルプスに程近く、山々の深緑を背景に、教会の赤い尖塔がそそり立つ姿は、ことに美しかった。

微風が吹いた。さっきまで真っ白な夏雲を立ち昇らせていた峰に、陽は傾いていく。耳のなかに、ヒグラシの声が反響していた。

そんな時である。教会の鐘が鳴ったのは。響きは、ブロンドの妖精たちが舞い降りてくる様を思わせた。その刹那、世界の動きが静止したかのような感覚に私は襲われた。蝉の声がぴたりと止む。

あの音だ―。それは、4年前、学生寮への帰り路に聞いていた、あの音にそっくりだった。往来のさかんな目抜き通りの突き当たり。蜂蜜色をした煉瓦壁の塔が鳴らす、あの鐘の音に。

くつくつと懐かしさが込み上げてきた。閉じた瞼の裏に、青空が広がる。水を切る櫂の音、はしゃぎ声が聴こえてくる。そして、ある思いがよぎった。あの人はいま、どうしているのだろうか―。

その年の英国オックスフォードは、おそろしいほど空の青い八月を迎えた。目抜き通りでバスを降りた私に、昼の陽射しが照りつける。玉の汗が滲んだ。

地図を頼りに、寮を目指す。石造りの橋へ差し掛かった時、微笑ましい光景が開けた。艀の上で涼む若者たち。喚声を上げる舟人。目指す寮は、すぐ川向こうにあった。

が、鉄製の高い門が行く手を阻んだ。ベルも、裏口も見当たらない。そうだよじのぼろう。鎖に手をかけたその時、門が動いた。

大きな黒い瞳が、所作に戸惑う私の顔を見上げる。吸い込まれそうな澄んだ瞳! 紺のショールを羽織った同年代らしいその女性が、首を傾げ言った。「神戸からの子?」

女性の名はアイリーンといった。カレッジの学生で、留学生の世話をしているという。「待ってた、さあこちら」と流暢な英語で手招きする。彼女は中国四川省出身で、専門は分子科学。年は同じだった。部屋の前で手を振り別れた。

アイリーンとはすぐ打ち解けた。きっかけはミュージカルだった。朝の食堂で向き合って食事をしていた時のこと。英国に着いた日にレミゼを観たと話したところ、黒目がちの眼に光が宿った。「私もミュージカル好きなの」

それからだった。毎朝のように連れ立ち、霧の立つ河畔を歩いてカレッジに向かうようになったのは。互いの母国について。毎週の試験について…。彼女の話はウィットに富み、いつも魅力的だった。彼女はよく、白い歯を見せカラカラと笑った。そのさっぱりとしたところが、心地よかった。

あの頃は本当に、恨めしいほど早く時が過ぎた。秋が深まる頃、フットボールのカレッジ対抗戦があった。彼女は仕事を断り、観にきてくれた。申し訳なさの反面、私の胸には嬉しさがあった。実は少々、恥じらいを感じざるを得なかったのだけれども。何せ、ビデオカメラを回しながら「まゆき、まゆき」と叫ぶのだから。

留学最終日。チャペルで祝賀会が開かれた。扉をあけて入ってきた彼女の姿に、私は息をのんだ。蝋燭の光に照らし出された彼女は、白絹のチャイナドレスに身を包んでいた。胸元から腰にかけて緑の若竹の刺繍が施された美しいドレスだった。目が合う。彼女の足取りが止まる。私は右手にグラスを持ったまま、立ち尽くした。

祝賀会の後。いま振り返れば、それが彼女との最後の夜になった。「まゆき、聴いてほしい」。二人のほか誰もいなくなったチャペルで、彼女はそう言って、静かにピアノを弾き始めた。「チアン・ドゥ。私の生まれた街を詠ってるの」。柔らかで、秋雨のように抒情的な旋律だった。あたたかいものが頬をつたって、唇に触れた。それは、しょっぱくて、いやというほど心に沁みた。窓の外では霧雨がしめやかに、暗い大地に降り注いでいた。

日本へ帰ってからだった。私は「成都」の歌詞を知った。

霧雨の降る街で あなたはいつも私の心にいる

今でもことあるごとに「成都」を聴く。そのたびに私は、アイリーンの故郷に降る雨を想うのである。


 

人民中国  2023年10月25日


 

 

 

 

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