唯一無二の贈り物
渡邉 愛
私の祖父は「満州」(偽満州国)の撫順という地で生まれた。中国語は生活の一部で、祖父の家系は「満州」において商業に従事しその中心は日本酒の販売だった。しかしながら第二次世界大戦によって日本はアメリカ軍に敗北を喫し、1945年の幕引きを迎えた。祖父は当時、わずか10歳の少年であった。更に同年、ソ連軍の「満州」侵攻の脅威が迫っており、祖父らは家族とともに、「満州」から日本への避難を余儀なくされた。この際、留意すべき厳然たる事実が存在する。それは、日本への船に乗る際、財産を保有しているという情報が伝われば、ソ連軍によって家族全員が逮捕の危険にさらされるという脅迫があったことだ。祖父たちは宝物であるはずの財産や、「満州」において築き上げられた富を、無情にも手放す覚悟を迫られた。その選択は、心に深刻な痛みを刻む結末となっただろう。日本に到着した祖父たちは、何もかもを白紙から出発し、新たな人生の礎を築く決意を固めたそうだ。
この話を幼い頃から耳にしていたが、私自身の生活は中国とは無縁であった。しかしある日、偶然にもテレビで太極拳の特集を目にし、その優美な動きと滑らかな流れに心を奪われた。私の中で固定されていた中国武術に対するイメージが一瞬にして移り変わった。力強く素早い動きだけではない中国を知ったその瞬間に、それまで未知であった中国への興味、そして「中国語」の習得を目指すようになったのである。そこから私は、中国語を学ぶ喜びに刺激され、毎日が新たな発見と喜びで満ちている。そしてまだ拙い中国語力であったものの、ある大会で中国語への愛を語った。そのスピーチ動画が父の好意で祖父のもとに届けられていて、その動画を見た祖父は、私が中国語を愛して学んでいることを非常に喜んでくれたそうだ。その後に電話で聞いた彼の言葉とあの声は今でも思い出す。「動画見たよ。もう中国語をほとんど忘れちゃって、谢谢大家しか聞き取れなかったよ。スピーチの全文を覚えたの?すごいね。」褒められたことが素直に嬉しかったが、それ以上に、祖父の声にある活力と喜びを電話越しに強く感じた。祖父の中国語への情熱が、その声に宿っているかのようだった。
それから数ヶ月後、祖父の家を訪ねた際、彼は「请来请来」と喜びの声で出迎えてくれた。その瞬間、私は感動と喜びに包まれた。私の中国語学習をこんなにも喜んでくれるなんて。普段大人しくてあまりお喋りではない祖父が、私や家族に中国語を語っていた。「请は英語でいうとpleaseなんだよ。」そう、笑顔を浮かべて話す彼の表情は生き生きとしていて、私の心にも何か熱く感じるものがあった。私はずっと、祖父に中国語学習をしていることを伝えるのは、いけないことだと思っていた。中国に関する話題を持ち出すことが、祖父にとっては辛い過去を思い出させるかもしれない、それは祖父が望んでいることではないとばかり思っていた。しかしそれは大きな誤解であった。祖父が中国での困難な経験を抱えていたとしても、それは彼のアイデンティティの大切な部分であり、彼の個性を形成している。祖父は自分の故郷を愛していて、今でも中国語に強い情熱を抱いているのだった。
中国語の音はとにかく面白い。速さや力強さだけでなく、優美さと美しさを兼ね備えており、発音の微妙なニュアンスによって異なるトーンが生まれる。難解な暗号のように見えても、意味を理解できるとそこには、漢字の配列と発音に隠された独特の芸術的な美しさがある。こうした表現力豊かな中国語への理解が進むにつれて新たな世界が開き、私は何度も何度もこの言語の奥深さに驚かされた。
私は日中の言語学習を促進する団体を立ち上げていく。日本国内の中国語への先入観を打破し、中国語の魅力、特に比較言語の観点から両国の素晴らしい言語文化を広く発信したい。私と祖父を結びつけた唯一無二の贈り物「中国語」で、新たな絆と理解を育みたい。
人民中国 2023年10月25日