筆が繋いだ二つの国
宮川 舜
私は小学1年生の頃から書道教室に通っていた。習いたての頃は鉛筆を使って平仮名を書く練習を繰り返し、書けるようになってくると筆を持って書道を練習するようになった。私は毎回夢中になって筆を持ち、字を書き、気づいた頃には書道が大好きな趣味になっていた。墨の匂いと筆が紙に吸い付く感覚に、日本の落ち着きを感じ、心の安らぎを感じていた。ある日、書道教室の先生が、「この筆の持ち方は中国で昔から用いられてきた筆法でね、」と説明してくれたのを聞き、小学生の私は、書道の文化は中国から伝わっていたのだということをそこで初めて実感し、中国の文化が日本に伝わっていて、私が今夢中になっているのだということに感動した。これが書道を通して中国と日本の繋がりを実感した瞬間だった。
中学生になり臨書を始めた。九成宮醴泉銘を手本し、何日も練習した。字を書きながら、昔の中国の人の漢字の捉え方や、今私たちが日常の中で書いている漢字との違いを学び、書道に対してより興味が深まった。しかし、今まで書いてきた行書とは違う筆の動かし方や力の入れ方に戸惑い、中々上達しなかった。そんなとき、同じ地区に、小学生の女の子が中国から引っ越してきた。先生の勧誘で彼女も同じ書道教室に通うことになった。彼女は、まだぎこちなかった私の小学生の頃とは違い、美しい筆の持ち方で、美しい運筆をしていた。今まで様々な賞を受賞し自分の書道に自信を持っていた私は、自分よりも年下の彼女の書に衝撃を受け、とても悔しかった。先生が私に、彼女から臨書のアドバイスをもらうように勧めてくれたが、私は自分のプライドから中々素直になれず、ただ自分で練習を繰り返すだけだった。しかし彼女は、私に、「平仮名を書くの上手だから教えて。」との書き方を尋ねてきた。私が筆を動かしながらアドバイスをしている間、彼女は私の手をじっと見つめ、頷いたり質問したりしながら真剣に私の話を聞いてくれていた。私はそんな彼女を見て、彼女の書道が上手な理由はここにあるのだということに気づいた。中国に住んでいたから書道が上手なのだ、当たり前のことだ、と育った環境の違いを言い訳にして言い聞かせていた自分が恥ずかしくなった。彼女の、自分が知りたいことや学びたいことを必死に追求する真剣な姿勢を見て、私の知らないところで努力をしていたのだということを知り、彼女のことをとても尊敬した。次の日私は、彼女のところへ行き、臨書をうまく書くコツを教えて欲しいと尋ねた。彼女は喜んでたくさんのアドバイスをしてくれた。筆を寝かせすぎず立てて持つこと、強弱をつけてリズムに乗って書くこと、文字によって筆の動かし方や力の入れ方が違うこと、など、どれも自分一人で練習していたら気付くことのできないことばかりだった。それから私はわからないことや知りたいことがあるたびに彼女に相談し、彼女の相談にも乗り、今まで以上に充実した練習をすることができ、書道もどんどん上達した。先生が私に「字が変わってきた、これは心の変化が現れているのだよ。心の素直さが字にも出てきたね。」と言った。私はこのとき、書道の良し悪しはただ技術によるのではないのだということに気づいた。学ぶ姿勢や心の状態が字にも現れるということを知り、自分の思いを筆に乗せて表現することができるという書道の新たな魅力を感じ、さらに書道が大好きになった。中国から日本に、漢字や書道の技術が伝わっただけではなく、書道の心もともに伝わってきたのだ。この書道という中国と日本を繋ぐ素晴らしい文化をこれからも大事にし未来に残していきたい。そのために私は筆を持って、中国との繋がりを感じ、自分の心と向き合い、今日も美しい字を書く。
人民中国 2023年10月25日