三国志は私の幼少期
山家 湖一朗
人間は誰しも、小さい頃に読んだ・読み聞かせしてもらった絵本や本の内容や名前を覚えているだろう。私もよく母や祖母に本を読み聞かせしてもらった。だが、私はもし、「あなたが小さい頃に気に入っていた本を1つ挙げてください」と聞かれたら、「いいからいいから」でもなく「泣いた赤鬼」でもなく、「三国志」と言うだろう。まず、私と三国志の出会いについて話そう。私が三国志と出会ったのは小学3年生の時だ。当時は、何でも兄と同じことをしたいと思っていた。親に連れられて行った中学受験塾で、母が「入塾試験受けてみる?」と私たちに聞くと、兄は「受ける」と答えた。だから、私も受けた。結果はギリギリだったが、入塾することができた。授業が始まり一番初めに嫌いになった科目は国語だった。それまでは、絵本や漫画など、長文を読んだことが少なかったので、文章を読むのが苦手だった。少しでも早く長文に慣れるように、母は私たちを連れて本屋に行った。そこでも、私はもちろん兄と同じ本を選ぶわけだが、母に却下される。当時は何にも興味がなかったので、パッと目に入ったカッコいい表紙の本を選んだ。そう、これが「三国志」だ。ここから、私と三国志の関係が始まる。さっそく家に帰って読んでみると、読み仮名があるにも関わらず、漢字の読み方に苦労した。劉備、関羽、張飛、黄巾賊の張角など、今までに聞いたこともない名前が出てくるので頭が混乱しながらも頑張って最後まで読んだのを覚えている。第1巻では、劉備・関羽・張飛らの劉備軍と曹操軍、孫堅軍、董卓が官軍として黄巾賊と戦う物語だった。当時から戦隊ものにしろ、仮面ライダーにしろ、主人公になりきっている自分を想像するのが好きだった。三国志でも、自分を劉備だと想像して読むとスラスラ文が読めるようになり、気が付いたら読み終わっていた。そしてすぐに母に2巻目をおねだりをした。そこから、3巻・4巻・5巻(最終巻)とどんどん三国志にはまっていった。趙雲が劉備の仲間になったり、孫堅は息子の孫権が呉軍(孫権軍)として父よりも大きな軍隊を作ったり、一緒に戦っていた曹操は帝を利用して勢力を広げていき敵側にまわってしまうなどなど、様々なことが起こる三国志の中でも私が一番好きなのは諸葛孔明の「10万本の矢」だ。劉備軍は呉軍と同盟を結んだが、呉の最高司令官・周瑜は孔明の智謀におそれをなし、抹殺をはかる。3日で10万本の矢をつくれなければ、死をもってつぐなうという言質をとった。周瑜は孔明を抹殺するために、裏から職人たちへ手をまわし、作業を妨害する算段だった。これを察した孔明は、夜に藁束を積んだ船団を率い、曹軍の陣に近づく。射かけられた矢が藁に突き刺さり、一夜にして10万本の矢を得た。私はこの孔明の知恵に驚かされ、今でもとても記憶に残っている。この「10万本の矢」の場面でもそうだが、私は「三国志」を読んでいく中で、『一緒に戦っていた仲間が、次は敵となって戦わなければならない状況になった劉備はどのような心情なのだろうか?』や『自分がその登場人物だったらどのような方法・策略をとるのか』など、自分を登場人物の立場に重ねて考えていた。そして、「三国志」5巻全て読み終わったときには、国語は一つの私の得意科目となっていた。「三国志」が私に与えた影響は、それだけではなく、歴史そのものに興味を与えてくれた。三国時代は当時の日本にどんな影響を与えているのか、昔何があって何が起こって今の日本ができているのか、歴史を得意科目としてくれたのも「三国志」のおかげだ。影響を与えたのは学習面だけでなく、三国志よりも古い時代の物語である「キングダム」という漫画は私の好きな漫画の一つでもある。このように、「三国志」は私の幼少期いや、人生の一部だと言えるだろう。
人民中国 2023年10月25日