人情に溢れる国ーー中国

2023-10-23 17:18:00

佐藤 優夢


私が初めて中国を訪れたのは、2010年の夏休みである。当時私は小学生で、上海に駐在している父に会いに行くために、私と母と兄の3人で上海に行った。上海には1週間ほど滞在して、外灘や東方タワー、動物園、上海博物館を訪れた。上海を訪れて以来、私は中国に親近感を抱き、テレビ番組で中国についてやっていると見るようになっていた。私が中学三年生の時に、進路について担任の先生と面談をした。その際に、大学に入ったら英語ともう一つの言語を勉強したいと考えていて、以前から興味があった中国語を学びたいと考えていると先生に打ち明けたら、附属の大学の国際学科では中国語を学ぶことができ、さらにダブルディグリープログラムというものがあると教えてくれた。それから、私は昭和女子大学の国際学科で中国語を学ぶことを目標にしていた。

大学に進学すると中国語を専攻した。それからの大学生活は毎日のように中国語を勉強していた。多い時は、週に7コマ中国語の授業を受けていて、家に帰ってからも授業の予習・復習をしていた。一見大変なように感じるが、私はやっと自分が興味のあることを学ぶことが出来て、日々学ぶ喜びを感じていた。そして、202210月に私は日中国交50周年記念、第40回全日本中国語スピーチコンテスト東京大会に参加し、大学生弁論部門の部で最優秀賞を獲得した。

私はダブルディグリープログラムに参加しているため、本来大学二年前期までは日本、後期から大学4年次前期までは上海交通大学へ留学する予定だった。しかし、新型コロナウイルスの流行により、202212月になって、私はやっと上海へ留学した。私が人生の中で上海を訪れるのはこれで2回目である。私がこの留学生活で最も印象に残っていることは、中国人の人情の厚さである。大学入学後から中国語を学び始めて、今まで関わってきた中国人と言ったら、大学の先生くらいだった。実際に中国に渡航してから様々な人と交流したが、全員に共通することは、とても暖かく、人情が厚いところである。私は中国入国後、大きなスーツケースを二つ持って歩いていた。かなり重くて運ぶことが難しかった。しかし、そんな私を見て、嫌な顔をせずに二つのスーツケースを目的地まで運ぶのを手伝ってくれた。また、留学開始当初は、まだわからないことが多くあり、特に道を尋ねると、上海の人は皆わかりやすく丁寧に教えてくれ、目的地まで連れて行ってくれる人もいた。私は留学中に色々な場所に出掛けて、中国人と話したり、中国人同士が話をしているのを聞いたりすることが好きだった。大学内の食堂や、ご飯屋、果物屋や、洋服屋ではよく話かけられることが多く、日本人の友人と日本語を使って話していたり、また、会話の途中で留学生であることを言うと、中国人は「日本のどこから来たの。」や、「大学で何を勉強しているの。」など私に興味を持って、友好的に話をしてくれ、さらに私の中国語を褒めてくれる人もいて、とても嬉しく感じた。中国に来るまでは、中国人は少し冷たいのではないかと考えていて、留学時も困ったことがあっても、声をかけるのに躊躇いがあった。しかし、実際に交流すると皆友好的で、とても暖かかった。さらに、中国人同士も街中で知らない人に頼っている光景を多く目にした。私は、東京出身であるが、東京の街ではそのような光景を見ることが少ないため、とても素敵なことだと思い、うらやましく感じた。

留学中は人生で初めて親元を離れて、海外で生活し、率直に大変だと感じたことも少なくはなかったが、私が中国で過ごした8か月間は、何にも変えることができない貴重な時間を過ごした。私は中国から帰国してから今まで、中国で撮った写真を見返しては、中国で過ごした8か月間を恋しく思っている。私はまだ中国で行ったことのない場所が多く、まだ中国のすべてを知らないけれど、近い将来また中国を訪れたい。

 

 

人民中国  2023年10月25日


 

 

 

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