爷爷(いえいえ)の帰路

2023-10-23 17:35:00

望月 泉


「哎呀アイヤー」夕暮れのオレンジと紫の砂漠に染まる列車の中で響き渡った。

二カ月前、私は中国に留学中で、敦煌から蘭州に移動する寝台列車に乗っていた。おじいさんは二段ベッドの下段、私は上段だった。私は下段のベッドに腰掛けさせてもらい、おしゃべりを始めた。私が北京大学の学生だというと出身を聞かれたので日本、と答えた。すると、おじいさんが不思議そうな表情を浮かべるので、私は外国人です、日本から留学に来ました。と説明すると「哎呀アイヤー」である。長い間おじいさんが目を見開き驚いているので段々と心配になってきた。ご老体を驚かせて健康に良くないのでは、日本人だという理由で宿泊拒否されたように罵倒されるのでは、と気をもんだ。おじいさんはひとしきり驚いた後私の中国語をほめ、中国と日本国家間に問題は山ほどあるが、国と個人は別だと言ってくれた。とても紳士的な態度であった。

切符の点検で、おじいさんは手帳を見せていた。それは退役軍人の優待証明だった。おじいさんは元軍人なのだ。退役軍人と日本人が同じ個室なんてことがあるのか、軍関係の人が日本人である私にあんなに友好的に接してくれるものなのか、と静かに驚いた。おじいさん曰く、軍人優待で列車は半額、そして観光地でも優待がありその恩恵で新疆旅行は節約できたのだ、と嬉しそうに話してくれた。私はチベット旅行の写真を見せ、二人でご当地グルメや景色の話に花を咲かせた。

おじいさんは私が一人旅だと知ると女性だからと一人で使える個室はないか車掌さんに掛け合ってくれたり、ミカンやお茶を分けてくれたりと至れり尽くせりであった。おじいさんが夫婦二人で太極拳をする写真を見せてくれたので持っていた日本製のフェイスマスクを奥様に、と渡した。するとおじいさんはイリで買った香水を出し、香水に明るくないのでかいでくれ、と私に頼んだ。私が嗅ぎ、いい匂いだよ、とおじいさんに言うと気に入ったならあげるよ。と言われてしまい鈍い私もさすがになぜおじいさんが香水を出してきたのか理解した。私に渡す口実だ。私は本当に申し訳なくてそんなつもりでフェイスマスクを渡したわけじゃない、せっかくのお土産だからご家族に渡してくれ、とやんわり香水を返したのだが、なかなか受け取らない。おじいさんの体に軽く押し付けた。しかしそこは退役軍人、いかんせん体幹が強い、びくともしなかった。爷爷にいえいえ断る攻防をしばらく続けるも両者膠着状態。「君にあげなかったら奥さんに怒られちゃうよ。」と言われ私はとうとう降参した。

おじいさんは今年77歳、山東省出身。山東省といえば青島ビールだよね、と私が言うと、改革開放後に日本産ビールが中国市場に参入し、青島ビールのパイを奪ったので国産ブランド保護の必要性がでてきたことを教えてくれた。新疆での初めての乗馬や、蘭州では博物館に飛馬踏燕の像を見に行くことを話してくれた。意気投合し話し続けたのですぐに消灯時間となった。

翌朝終点の蘭州駅で、荷物を預け終えるまでおじいさんはずっと後ろで見守ってくれていた。最後まで私の帰路を心配し、最後は「一路顺风」とお互いの旅路の無事を願い別れた。

バスに乗って宿に行く途中、二年前に亡くなった実のおじいさんを思い出した。コロナに感染して亡くなったのでお葬式はおろか最後に顔を見ることすらかなわなかった。火葬後に見た白いカルシウムの塊、泣けなかった。それが、なぜか異国の地で強烈に実感できたのだ。大好きなおじいちゃんはもういない、二度と旅行の話をすることも、お土産を渡すこともできない。異国でようやく熱い涙が頬をつたった。

連絡先を交換していないので山東省のおじいさんと私は多分もう会えない、だけど実の孫のように接してくれたことは絶対忘れない。おじいさんも私と同じように家族や友人に私とのやり取りを話していてくれたらそれより嬉しいことはない。一路顺风


 

人民中国  2023年10月25日


 

 

 

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