私が日中学生交流の旗手になるまでの軌跡

2023-10-23 17:42:00

嶋田 智沙恵


私は中国語が話せる訳でもなく、中国に旅行したことがあるわけでもない。しかし自信を持っていえることがある。それは日本一、日中学生交流の促進に熱い想いをもって活動していることである。

大学3年生の夏、私は中国に行くことができなった。新型コロナウイルスの影響で、上海への交換留学が中止になったのである。中国に渡航する機会を失うことは2回目であった。実際1回目は渡航が出来なかった訳ではないが、2年生の夏に、市の派遣プログラムで中国に渡航したものの、台風が到来し、4日間ホテル滞在に終わったのである。

留学が中止になった後、最初は中止という事実を受け止めることが出来なかったが、まずは国内で日中交流が出来る場所を探すことにした。

それから約半年間、多くの日中交流のオンラインプログラムを渡り歩いた。民間団体主催のものから内閣府事業まで、ありとあらゆる活動に参加した。その中で、私の日中交流に対する想いも変化し、「中国人学生と交流がしたい」という想いから「日中交流の場を創る立場になって、より多くの日中の学生を巻き込みたい」と想うようになった。

大学3年生の冬、「日中学生交流団体freebird」という団体に所属し、加入後すぐに関西支部の副代表を任された。freebirdは日中学生の相互理解の場を創出することを理念に活動する学生団体で、北京・上海・関西・関東の4支部を拠点に活動している。私が副代表に就任した時点での関西支部のメンバーはわずか5名であった。そのためSNSを活用し、関西の学生に向けて、freebirdという日中交流の場があることを発信し、一緒に活動出来る仲間を探した。また、関西で日中の学生の交流会を1か月に1回実施した。そして約2年かけて、現在はメンバーを40人までに増やすことができたのである。

SNSを見て、freebirdの関心をもってくれた学生が、一人、また一人と増え、その度に団体としての活動の幅も広がった。このように関西地域で、日中交流を促進することができたことを誇りに思う。

私は日中交流を通して、沢山の笑顔を見た。そして沢山の経験を得た。発信をするために、SNS運用、目を引くポスターの設計について学び、文化交流イベント開催するために企画・運営についても学んだ。さらに、より多くの人に参加してもらえるよう、オンラインでも日中言語交換会などを実施した。日中交流にまだ関心を持ったことのない学生にも参加してもらうために、漢服・浴衣を来て街歩きなど、多様なテーマのイベントを開催し、関西全域の学生にこの場を届けようと努力した。日中の学生で集まり、沢山の笑顔が生まれるfreebirdという団体は私にとって大切な場所で、日中交流を通じて、笑顔が増えることや、後輩が成長する姿を見ることは私の大きな喜びである。日中という2か国を共通点にし、学生が集うことのできるこのプラットフォームは私が一生絶やしたくない場である。

修士1年生になった春、日中交流の場を創る側になって約1年半経った頃、私は大きな機会を手にした。それは、西日本地区日中友好交流大会に、日本人学生代表として登壇することである。私の日中交流への想いが、まさかこのような大きな場に届くなど考えたことがなかった。私は、より多くの日中の青少年を巻き込み、更なる日中友好の高まりを目指していくことを誓った。

私はこの先必ず成し遂げたいことがある。それは、中国で日中学生交流の祭典を開くことである。修士2年生になった現在の私は、中国語も話せるようになった。今まで中国語が話せない状態でも、これだけ多くの学生の共感を呼ぶことが出来たのである。中国語は話せるようになった今、より多くの学生をこのプラットフォームに巻き込むことができると確信している。

私は未来に向けて、日中交流の推進に情熱を注ぎ続けたい。そして、「日中学生交流団体freebird」という日中の学生にとって大切なこの場所を守り続けたい。


 

人民中国  2023年10月25日


 

 

 

 

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