贈り物

2023-10-23 17:47:00

前原 恵龍


「沖縄県って中国とこんなにもつながっているのか」私がこの感情を持ち始めたのは中学3年生の時であった。この頃の私は、沖縄の独自の文化に疑問を持っていた。例えば、ちんすこうやサーターアンダギーなどの沖縄独自のお菓子、また組踊や三線などの芸能など、私に「なぜ、この文化が生まれたのだろう」と疑問と好奇心を湧かしてくれた。この気持ちが大きく、沖縄の文化などが学べる、高校に進学を決めた。

沖縄は昔、琉球王国という王国であり、約500年という歴史をもっていたとされている。けれど、薩摩藩の琉球侵攻により、今の沖縄の形に徐々に変化をしていった。そんな500年という歴史の中で私の住む沖縄に中国は多くの贈り物を残してくれた。

琉球には古琉球時代と言われる時代があった。中国では、中華を文化の中心とし、周辺の人々を未開の民族とする、いわゆる中華思想が存在していた。琉球はその影響も受けつつ、中国を宗主国として、日本と中国などの文化を取り入れて独自の文化を築いていった。琉球の王は、中国の皇帝から承認されて初めて国王と名乗ることが許されており、冊封使という、使者が中国から琉球に何度か派遣されてきた。そんな、冊封使をもてなす為に組踊という琉球舞踊が玉城朝薫氏によって作られた。彼は若い頃、日本芸能の美しさに魅了され、大和芸能の能や狂言・歌舞伎からヒントをえて、音楽や舞踊を琉球版にアレンジした。その功績は、「執心鐘入」、「二童敵打」など多くの名作を誕生させた。彼は、琉球という小さな国を中国という大国に認めさせたいという、威厳と権威を持ち合わせていたのだろう。それを感じさせる逸話がある。組踊の上演前に「踊りが物を言うことがあるか」とあざ笑った人でさえ、感動のあまり涙をしたということだ。今、組踊は1972年に日本無形文化遺産に2010年にユネスコ無形文化遺産に登録された。その美しさは、時代を越えて現代の私たちに感動を与えてくれる。また、沖縄の代名詞とも言える「シーサー」にも魅力が隠されている。シーサーの歴史はエジプトのオリエント文明までさかのぼり、シルクロードを通じ、獅子として中国まで伝わり、シーサーとして琉球に伝わった。シーサーはペア同士であり、雌は口が閉じており、福を逃さないという意味が込められ、雄は口が開き、邪気などを払うという意味が込められている。中国の獅子、沖縄のシーサー、両方とも意味がとても似ている。そして、獅子文化と同じ時期に学問や思想など伝わり、琉球文化が大きく発展した。

その他にも、サーターアンダギーは中国から調理技術を学んだ料理人によって作られちんすこうは日本と中国の菓子技術を参考にして作られた。音楽では、三線が中国から琉球に伝わり、三味線という名前に変わり日本に伝わった。琉球には「万国津梁の鐘」という鐘がある。そこには、「琉球国は南の海の良いところにあり、中国と日本の間にある蓬莱の島で、船で万国の津梁、いわば架け橋となって貿易を行い、国に宝物が満ちている」と記されている。日本と中国の架け橋であった琉球の姿があったのだ。

世界の国々の文化は広い輪でつながっている。その多くの文化は直接的では無くても、さまざまな道筋を経て、国から国に伝わり、発展し合ってきた。時には、考え方の違いや政治的な理由などで文化が受け入れなかった、背景も歴史を振り返ると存在する。けれど、その摩擦や受容から生まれる文化は素晴らしく、私たちを魅了し、後世に伝えたいという使命感を湧かしてくれる。相手の文化を知りたい、その感情は私たちに文化の美しさを教え、続けてくれる。

 

 

人民中国  2023年10月25日


 

 

 

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