友好都市天津・神戸巡り 新たな交流の形を模索

2024-04-17 16:51:00

袁舒=文写真 

中日平和友好条約締結45周年と天津市神戸市の友好都市締結50周年を記念する「『神戸と中国』写真キャプションコンテスト~KOBEの魅力と中国の魅力~」が昨年12月に開催された。神戸大学北京同窓会が主催する同コンテストには98人の応募者から応募作品108点が寄せられ、43作品が入賞作品あるいは佳作に選ばれた。 

コンテスト終了後の今年1月に、受賞者である王衆一氏(『人民中国』前総編集長特別顧問)と協賛企業中国総代表北京日本倶楽部会長の中原伸二氏(全日本空輸株式会社執行役員)、神戸大学北京同窓会設立幹事の大岡夕伽子氏(独立行政法人国際交流基金)が「都市交流から始まる民間友好」をテーマに交流した。 

友好都市は民間交流の重要な懸け橋です。50年前に天津市と神戸市が初めて締結して以来、友好都市の増加によって、経済、貿易、文化の各分野で中日間の交流がどのように促進され、また、友好都市間の交流が両国の市民交流にどのように寄与してきたのでしょうか。 

大岡夕伽子 1987年に就職した(財)神戸国際交流協会のトップが宮崎辰雄神戸市長でした。神戸市が天津や中国を重視していることを現場にて肌で感じました。「友好都市」という名称を周恩来総理が提唱されたということも職場で知った次第です。印象深かったのが天津港の港湾設備改善。84年から技術協力神戸市顧問団が訪中し、天津港に関わる『改造案』を策定。その後両都市の努力を経て天津港の貨物取扱量は70年頃の1000万未満から40余年後の2013年には40倍の4億へと飛躍し、さらに20年には貨物取扱量で世界8位となりました。 

王衆一 港といえば私も印象に残っています。天津港(客船ターミナル)と友好港である神戸港(神戸ポートターミナル)とを結ぶ国際定期フェリー燕京号(1990年就航)は2012年8月の最終運航まで中日の人的物的交流に大きな役割を果たしました。私はこれまで中国と日本を主に飛行機で50回近く往復していますが、1回だけ船で日本に渡ったことがあります。その際乗船したのが燕京号でした。燕京号での3日間の航海は大変思い出深いです。天津市と神戸市の姉妹都市締結は中国にとって最初の友好都市提携で、周恩来総理の配慮により1973年6月2日に宮崎市長が訪中して調印されました。両都市が選ばれたのは周総理が日本留学から船で天津に戻ったことも関係しているのではと拝察します。 

デジタル時代の到来により、携帯端末での写真の撮影や配信が容易になりました。旅先で撮った写真を積極的に共有する中、中日の人々は美しい写真を通して相手国の魅力を感じ、相手国の文化や人文科学に興味を持ち始めることが多いです。写真の交換は、人と人との交流促進にどのように貢献していると思いますか。 

大岡 長年の国際交流業務を通じて感じていることは、相互理解において「契機」が重要、かつ「共通項」からのアプローチが有効ということです。 

特に中国との関係においては、国家間であれ都市間であれ「交流→協力→互恵関係」という方向に目的や内容が進展してきたと思います。また、従来の友好都市関係では、両市民同士や一定分野同士の「点と線」へのアプローチであったところが、SNSの発達により双方の都市以外の人々への「面」への展開が可能となりました。従って、今回は「互恵関係」と「面」へのアプローチという観点から、写真という素材を用い、「契機」となる50周年記念催事という場を創造することにした次第です。また、当コンテストの趣旨に対し、写真家である垂秀夫前大使が特別顧問、汪婉北京大学国際戦略研究院理事が特別副顧問を引き受けてくださったことも「写真」を用いる追い風となりました。そして催事のサブタイトルの通り、写真とキャプションを通じて、神戸の魅力と中国の魅力の「共通項」を見いだすというチャレンジができました。 

中原伸二 写真から神戸や中国各地の魅力を感じていただき、その地に興味を持ち、訪問の契機になり、ツーリズムに寄与するという好循環も期待できますね。 

私自身も会長を務めている北京日本倶楽部所属のカメラ部活動の中で、中国の美しい場面を特に意識するようになっています。カメラがないとそのまま通り過ぎてしまう街並みも、進んできれいなところを見つけようと思うようになります。またそれを友人と共有しようと思うようになります。中国に暮らす日本人も、中国のきれいなところ、素晴らしいところを見つけようと一生懸命になるんですね。規模の大小にかかわらず、こうした取り組みを続けていくことに意義があるのだと改めて思いました。 

 このような取り組みは、参加した人がイベントから何かしら貴重な体験を得、そこから感じたことを行動に移すことに最大の意義があるのだと思います。今回のコンテストでは、本格的なカメラの他に日常的に使用しているスマホで撮った写真も応募可能という点で、象徴的な意味があります。50年余り前、政治家たちの取り組みによって中日間の国交正常化が実現しました。50年余りの歳月を経て、民間の往来は観光や留学、ビジネスを通して平常化を迎えています。つまり中日の関係は国レベルの「正常化」から民間レベルの「平常化」へと変わったのです。スマホで撮った写真というのはちょうどその平常化した民間交流に対応しているのです。そのスマホで撮られた作品の数々に秘められた一般市民の視点から見た相手国の姿は、相互理解を深めるに当たって大変意義深いものだと思います。 

今回のコンテストは、多くの日本企業の協力を得て開催されました。中日関係がますます緊密化する中、両国の多くの企業が経済発展の面で両国の繁栄に貢献し続けており、長期的な経営理念を持つ日本企業も社会的責任を重視し、この分野への投資を続けています。両国の経済文化交流の促進における企業の貢献をどのように考えますか。 

 神戸と中国の魅力を提示する「契機」の場が今回の写真コンテストであったといえますが、全日空と中国を結ぶ契機も全日空社の岡崎元会長と周恩来総理の友情関係にあるといっていいでしょう。両国には堅い歴史的な信頼関係ができています。それを次世代の若い担い手たちに受け継いでほしいものですね。 

中原 日中友好、そして盛んな人的交流、これは中国に進出する日本企業にとって事業を展開する共通の基盤です。それなくしては、企業としての存続自体が難しくなります。 

弊社諸先輩の中国との歴史的関係も含め、それらは企業のDNAとして企業文化という形で若い社員にも継承されていると思います。日中友好を重視する心持ちは常に一同が持っていますし、歴史的に日中交流に意義を感じています。歴代の経営者から私たち、そしてさらに若い世代へとそういう考えを脈々と語り継いでいます。 

 人々の往来や交流はビジネスだけではなく、企業の社会貢献と地域の平和と繁栄にもつながっているということですね。つまり両国の良好な関係と企業の発展はつながりの深い弁証的な関係にあるといっていいでしょう。 

全日空の協賛により、『人民中国』が主催する「Panda杯 全日本青年作文コンクール」も今年で10周年を迎えます。10年たった今、当時の応募者の多くが社会人となり、中日交流関係の仕事に従事しています。そうした変化を見るとわれわれの取り組みも本当にやりがいのある仕事だなとつくづく感じますし、そのような積み重ねによって思いがけない素晴らしい出会いや結果に結び付く可能性もあります。その面でも企業の方の貢献は非常に大きいと思います。 

神戸大学北京同窓会は、神戸の魅力を発信する市民団体として、中日間の相互理解を深め、異文化交流を促進するためのさまざまな活動を企画してきました。今回のフォトコンテストもその一つです。今回のコンテストをどのように評価し、異文化交流の意義をどのように捉えていますか? 

 今回のコンテストでは写真だけでなくキャプションも非常に重要なポイントとして生かされています。キャプションを審査対象に加えたという点で、今後の写真作品募集の新たなモデルとなりました。キャプションには作者の思いが凝縮されており、見る人と豊かな情報を共有できます。その面ではとても成功した試みだと思います。 

今回のコンテストに私も微力ながら貢献しようと応募させていただきました。孫文の足跡が残る神戸のポートタワーと広州タワーをコラボさせ、「近代の風雲動く二都物語」というキャプションを思い付きました。恐らくはキャプションが評価されたものと拝察しますが、入賞作品に選んでいただいて光栄でした。写真とキャプションの相乗効果が発揮されたのだと思います。 

中原 中国の人が日本に、日本の人が中国の各地に興味を持つ「契機」の創出という点に賛同して、今回の写真キャプションコンテストに協賛した次第です。 

日中の交流、良い関係性の存続のために、このような記念事業をきっかけとして、往来や交流を通じて互いの人々がさらに幸せになることを期待しています。 

大岡 論語の「以友輔仁」(友と会い友同士の(せっ)()(たく)()によって仁の道を行う)の境地に少しでも近づければという感覚をわれわれ同窓会は常に抱いています。ゴルフコンペや勉強会、歌合戦参加もしかりです。今回は在中国日本国大使館神戸市自治体国際化協会北京事務所の後援3団体、9社の協賛企業、天津および北京日本人学校や月壇中学、北京日本倶楽部および天津日本人会、神戸大学のご賛同ご協力を得て、日中の人々官民一体での記念事業が実施できたと実感し、心より感謝しております。 

1973年の友好都市提携合意の中でも「両国人民の末代まで友好を発展させること」とうたわれています。尊敬する元上司の宮崎市長が切り開かれた第1号友好都市提携という歴史的偉業と、今回の50周年記念催事を冊子として記録し、次の100周年に向けて後輩たちが友好の場面をつくってくれるための軌跡づくりに貢献できればと願っています。 

関連文章