未来へのバトンパス
廣澤 愛佳
―令和5年12月、国の文化審議会は国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産の候補に「書道」を選定した。私はそのニュースを待ちわびていた中の一人である。書道の輪がさらに広がってほしいと願う私にとってとても嬉しいニュースだった。書道を始めて早13年、私は現在、大学で書道を専攻している。将来は高校芸術科書道の教員になりたいと考えている。私が書道を始めたのは、小学1年生の時だ。祖父に習い毎月作品を出品していた。ただただ筆で文字を書くことが楽しくて、書道をしている時はいつも時間を忘れて没頭していた。その頃はまさか自分が書道の道に進むなんて考えもしなかっただろう。高校で書道部に入り、恩師と出会い、恩師の勧める顔真卿という書家の古典に目を奪われたことを覚えている。顔真卿は中国の唐の時代に活躍した書家であり科挙官僚という政治家でもあった人物である。彼は、蚕頭燕尾と呼ばれる起筆は蚕の頭のよう、収筆は燕の尾のように書く筆法を生み出した。力強く重厚感の感じられるどっしりとした書体でありながらも、その中に柔らかさと包み込むような優しさを兼ね備えた筆跡はまさに彼にしか生み出すことのできない筆法であったといえる。私はこの顔真卿の筆法に惹かれ、高校では顔真卿の自書告身帖、祭姪文稿などを中心に臨書を行った。中国書道史や顔真卿について詳しく学ぶうちに、いつか私も中国に行って西安碑林博物館で石碑を見て、日本書道の先駆けとなった本場の中国の書を自分の目で見たいと強く思うようになった。また、それと同時に私は、中国に行って書道の魅力を再発見し、書道の良さを後世に伝えたいという思いがある。私は以前、地元の栃木県宇都宮市で行われた書道展を見に行った際に、その書道展を見に来ていたある先生から言われた言葉が今でも忘れられない。「書道の教員になる覚悟はあるの?」この言葉を言われた直後、私は声が出なくなった。どういう思いや真意でこの言葉を発したのかは分からない。その先生も別に書道教員になることをやめさせようとしたわけではないと思う。しかし、その単刀直入な言葉を前に答えられない自分がいたことも事実だった。現代社会では、AI技術の発達によりスマートフォンやタブレットが普及し、そういったインターネットと隣合わせの便利な生活を送っている。その一方で、書道のように筆と墨を使って文字を書くという行為自体少なくなっていると感じる。書道人口も高齢者が圧倒的に多く、書道は一昔前の趣味の一つとして捉えられており、若手が少ない状況だ。書道教員になろうと夢を追う今、果たして書道に需要はあるのだろうかと自身に問う毎日。それでも私が書道の教員になりたいのは、私自身書道が大好きで、中国書道から日本書道へ受け継がれてきた技術や文化そのものを守りたいからである。中国の書道は、文字の成立から篆書、隷書、草書、行書、楷書と書体の変遷を確立し、数々の有名な書家が中国書道の基礎を作り上げてきた。原点に立ち返ると、中国で文字の成立がなければ、そもそも日本に文字は伝わっていなかったし、今のように漢字があってはじめて存在する日本語も生まれていなかったかもしれない。そして何より、中国は文化を敬愛する意識が強いと私は感じる。中国書道が色褪せることなく、今まで続いているのは、その時その時代で中国書道文化を次の世代へ受け継ぎたいと願う同志たちによって、その文化や芸術が生きているからであると考えられる。それはまさに時代の垣根を超えたバトンパスだ。孔子の論語の一つに、「故きを温ねて新しきを知れば、以て師たるべし」、昔のことをよく調べて学ぶことで、現在や未来に役立つことがよくわかるようになるという言葉がある。私もこれから大学4年間で書道を探求し、憧れの中国でさらに自分を磨きたい私の未来へのバトンパスはもう目の前に迫っているのだから。