成都の茶の間に宿る心のゆとり

2024-11-20 20:38:00

山野井 咲耶


大学の研究助成金に採択され、私は四川料理の深層を探る旅に出た。

選んだ街は、ユネスコが「グルメ都市」に認定した四川省成都。そこで料理にまつわる口承を記録したいと思い、劉夫妻の家に身を寄せることになった。どこの誰とも知れない外国人を、なんの見返りを求めず、十日間迎え入れた二人には本当に頭が下がる。

夫妻の日課は、静かにお茶を啜りながら、本を読むこと。その穏やかな時間に、私は日記を綴り、夫婦に毎晩手渡す。そこに書かれた文字が私の感謝の気持ちを代弁していると願いながら。ここに、その日記から抜粋した一部を記してみたい。

六月二七日

中国で一度もサラダを口にしていない。茹でた野菜や煮込んだ野菜はご馳走になるが、生野菜だけは食卓に並んだことは一度もない。奥さんが言うには、「生野菜は動物が食べるもの」という認識があるからだそう。「生野菜ってうさぎとかが食べるものでしょ。人間は野菜を調理するのよ。まあ外国人は生野菜を食べるけどね。」と、続けた。

中国人が生野菜を敬遠してきた歴史は、中国語にも表れている。中国語では、「生人」は見知らぬ人を指す一方、「熟人」は顔馴染みの人を意味する。つまり、中国の食文化における「生」と「熟」の対比は、単に調理法の違いだけでなく、文化的価値観に結びついているのだ。食卓に並ぶ一皿一皿を見つめていると、中国文化の奥深さが少しずつ見えてくる気がした。

 七月三日

四川料理の書物を読み漁っていると、「毛氏紅焼肉」という料理が目に留まった。奥さんに聞いてみると、毛沢東主席が愛したことに由来するという。「実はこの紅焼肉は、蘇軾が考案したものなの。ちなみに彼は四川出身よ。」奥さんは何気に物知りなのだ。

蘇軾といえば、左遷され、絵画や詩に精通した北宋の文化人。その程度しか高校では習わなかったが、実は美食家としても知られる。そんな彼は『初到黄州』にて次のように記している。

自笑平生為口忙  老來事業轉荒唐 

長江繞郭知魚美  好竹連山覺筍香 

逐客不妨員外置  詩人例作水曹郎 

只慚無補絲毫事  尚費官家壓酒嚢

この詩から、左遷先で食材を楽しむ蘇軾の姿が浮かび上がってくる。そんな彼が地元の豚や酒を使って編み出した料理が、地元の人に愛されるようになったという。紅焼肉と名付けられたこの料理は、時を経て毛氏が気に入ったため毛氏紅焼肉として広く親しまれることになったらしい。蘇軾は逆境にありながらも、その土地の食材を楽しみ、創意工夫を凝らして新たな料理を生み出す心の余裕を持ち合わせていた。たった一品から彼の生き様を感じ取ることができるのはまさに食文化研究の醍醐味だと思う。

七月四日

日本では、多忙であることが美徳とされ、「エリート」としてもてはやされる。

しかし、歴史を遡ると、エリートとは余暇を享受する層を指してきたはずだ。労働は奴隷や労働者に任せ、膨大な時間を詩や絵画などの創作活動に勤しむ時間に充てる。それがエリートの真髄だった。しかし近代に入り、経済成長が神格化されると、この図式は一変する。多忙な人を美化すると同時に、余裕のない自分自身を自嘲しつつも、どこか誇りを覚える。強烈な違和感を覚えつつ、疑う余裕さえない。

ここ成都では、いい意味で人々から活気が感じられないのだが、かといって諦観で溢れているわけではない。平日の昼間から麻雀に興じる半裸のおじさんや店の前で椅子を広げ談笑するおばさん。見返りを求めずに外国人を居候させ、毎晩ゆっくりお茶を愉しむ余裕のあるご夫婦。成都人からは、常に余裕が漂っている。

私はこの街で、一切の予定がない。アルバイトの予定もなければ、友人と遊ぶ約束すらない。街を散策し、この日記を書き綴るだけだ。そんな私は、蔑まれるべき存在かもしれない。だが、その蔑みをも静かに受け入れることこそが「エリート」の義務なのだと、中国で気付かされた。

今日が居候最終日。旦那さんが毛氏紅焼肉を作ってくれた。好吃!

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