未来、私たちが創る

2024-11-20 20:41:00

神谷 あかり

あの幻のような9日間は私の記憶に残り続けるー「Panda杯全日本青年作文コンクール〜わたしと中国」このポスターを目にした途端、私はあの広東省で過ごした9日間を鮮明に想い出し、当時の高揚感と恋しさで胸がいっぱいになった。この想いを、想い出を、感謝を、文章にして誰かに伝えたいと思った。

去年の秋、私は兵庫県と広東省の高校生交流事業の一環で9日間広東省に派遣された。一度は中止になったこの事業。再開すると発表があったものの、当時は冷え切った日中関係についての報道が相次ぐ時期だった。両親は私の身を案じてギリギリまで反対していたが、なんとか説得して応募した。私の中に日本人だから差別をうけるのではないか、という不安が無かったと言えば嘘になる。しかしこういう時期だからこそ、私たち高校生にできることがあると思った。

そうして訪れた中国広東省。そこで最初に友達になったのが思羽だった。彼女は現地の学校でペアとして、またホストファミリーとして迎えてくれた。学校の授業や休み時間の食堂、博物館見学、広東タワーへの観光など何処へ行くにも彼女と一緒だった。最初に会った時、私と彼女は似ていて2人とも恥ずかしがり屋なところがあったため、お互いに少し挨拶をして照れくさそうに笑った。その後中国の伝統的な円卓でお昼ご飯を食べている時、私はチキンが回ってくるたびにそれを取っていた。気づいた思羽は「チキン好きなの? 私も」と言って笑った。彼女は私に顔を近づけて口を片手で抑えながら、とっても可愛らしく笑う。それからというものチキンが回ってくるたびに彼女は私のお皿にチキンを入れてくれるようになった。「チキンが好きならこっちの料理も好きなはず」と別の料理も取ってくれた。私は思羽の気配りや優しさに心底驚き、彼女が大好きになった。また、彼女は恥ずかしがり屋でおっとりとしていたが、同時に優しい強さも持っていた。一度、私は学校で知らない子から怒鳴られたことがあった。中国語が聞き取れなかったため、正確には何を言われたのか今でも分からない。しかし友好的な言葉では無かったように思う。その時彼女は今まで聞いたことのないような強い口調で言い返し、私にその場を立ち去るよう促してくれた。しばらくして「ごめんなさい。私はあなたが大好きだから、気にしないで」と言ってくれた。彼女の家族もまた、親切心溢れる人たちだった。言語の壁があり上手くは話せなかったが、いつも私に笑顔を向けてくれた。ご飯は美味しかったか、疲れていないかと何度も聞いてくれた。最後に「泊めてくれて、親切にしてくれてありがとう」と伝えると、元気よくアハハと笑って「また中国に来て、うちに泊まって」と言ってくださった。学校の生徒たちも、私たち日本人生徒を大変歓迎してくれた。学校についた時には、何十もの生徒が私たちを取り囲み、手を振り、話しかけ、連絡先を交換しようとしてくれた。私は正直こんなにも歓迎されるとは想像もしていなかった。どこへ行っても笑顔で「おはよう!」「ようこそー!」と知っている日本語で挨拶してくれ、その度に私は心が温かくなるのを感じた。

あれから約一年。改めて私は今、あの時受け取った多くの優しさや温かさ、笑顔に感謝してもしきれない想いでいっぱいだ。私たちはあの9日間で言語・文化の垣根を越え、お互いを似ていると思ったり違うと思ったり、思いやったり、笑い合ったりした。そうして近いようで遠いところに住んでいる友の存在を知り、友情を確認し合った。私は将来国際的な仕事がしたい。日本と外国を繋ぐ懸け橋の様な存在となりたい。そう思うのはきっと、広東での経験があるからだ。私たちはあの9日間を通して今もなお、中国と日本の懸け橋の一部となっているはず。そんな私たちが未来を創っていく。それが私たちの責任であり、願いである。私には眩い未来が見える。

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