大陸の風

2024-11-20 20:42:00

増田 有真


2023年、夏、私は親戚のツテで中国内モンゴル自治区に訪れた。割れたアスファルトと砂利道を、かれこれ車は4時間走った。映るのは地平線まで続く青と緑。薄く広がる池には羊の群れや馬の群れが。朝のまだ低い太陽が、その水面に反射して美しい。ぶうんぶうん。風力発電機のそばを通った。流れる風景に見惚れた。

着いたのは親戚の所有するとてもとても広い草原。その土地の中央にゲルが有り、そこから見渡しても端に立てられた柵に視程は及ばない。飼育しているのは牛、羊、山羊。遠くには黒色の或いは白色のぽつぽつとした動くなにかが見える。初の光景、心が動かされるのにそう時間はかからなかった。壮観である。丘に立ち眼下を眺め、肺いっぱいに空気を吸い込んでは吐き、浄化されていく私の身体。8月の晴れた草の上、鋭い日差しに刺されながらも、からっと冷たい風がびゅっと。快い風は蒸した日本を忘れさせた。

「水やりの時間だ」彼らはそう言って大きなバイクにまたがりキックレバーを踏み込んだ。エンジンのけたたましい音。私は後ろに座るよう勧められ、水を今か今かと待ち望む群れのもとへ。昔は馬に乗っていたらしいが最近からバイクに変えたそうで、テレビ一つない草原にテクノロジーが押し寄せるのを感じた。といっても走るのはバイクの作った轍の上、さながらにして獣道だ。ホースから引っ張った水を長い水飲み場に注いでいた。近くには何の気配もない。群れで行動する彼らは水飲み場に自分たちでは来れない。まだ遠くにいる。ここから追い込みの必要がある。一匹もはぐれさせまいと全体を束ね水飲み場まで。バイクを縦横無尽に操り思いのままに蛇行させる技術。かつて大陸を支配した蒙古民族は、今日の中国において乗り物を変えていまだ実在か。そう、ふと思いついてしまった自分が可笑しかった。羊たちは我先にと口を水面につっこむてんやわんや。一方の首がもう一方の首に乗り上げ交差する光景に笑わずにはいられない。そんなことをまた次の場所へと繰り返された。都市の対義で、スローで自由なライフの刹那。

時間がゆっくりと流れる。すっかり現代のあたりまえに慣れた私は、電波というもの無しに時間の潰し方など知らない。どうしようもなくなって空を見た。ステップ気候か、中学地理を思い出して、どうりで天気が良いわけだ。風が気持ちいいのだ。空ではもっとずっと風が速いんだろうか。雲があっという間に流れていく。思えば、じっくり見たことがなかった。日本はおろか世界のどこだって見える雲だ。目線を下にすれば、さらに初めて見る、私にとってこの上ない高揚感をもたらすものがそこにあった。雲の影。日本で雲の影の姿の全貌を見たことはなかった。雲の影の縁を確認した。黒と緑の明確な色の違いと明確なその雲の輪郭を確認した。私にはそれは神秘的に映った。雲の影は私の中で空を泳ぐ白い鯨の影になった。まるで、虹の足を拝めたときのような胸の高鳴り。私は思わず駆け寄り、飛び込んだ。辺りはサーっと、視界も暗くなった。私はその中別世界を感じ興奮した。楽しい時間から、気づけば別世界の縁が迫る。私は逃げた。迫る方の反対へ走った。来ないでおくれ。もう少しここに居させておくれ。風に乗った鯨は無情に去っていった。私は立ち尽くした。

無常。世は無常なのだ。絶えず動き続ける家畜たち、食べられて生まれて、草は食べられてまた生えて。人はそう生きていくべきなのだ。Be water, my friend―― 水のように流れる。風のように去る。風立ちぬ、いざいきめやも―― 広大な中国の大陸は気づかせてくれた。今を生きよう。精いっぱいに、今を生きようじゃないかと。大陸の風が後ろから吹いて、背中を押している。

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