ためらいから一歩へ

2025-11-17 13:29:00

実石礼子

 

 私にとって中国は、物語の中の異国でも、遠いニュースの世界でもなかった。幼い頃から親戚に日中夫婦がいて、会うたびに中国での暮らしや文化について話を聞く機会があった。けれども、高校生になるまでの私は海外経験が全くなく、頭の中の中国は「少し憧れるけれど、自分とはまだ遠い場所」という存在だった。

そんな私の意識を揺さぶったのは、高校入学直後の春だった。ある日、学校の掲示板に「大連での中国研修参加者募集」という張り紙を見つけた。その瞬間、理由もなく胸が高鳴り、「行ってみたい!」という衝動に駆られた。書類審査を通過し、面接にも合格したときは、夢に近づいた気がした。しかし、初めての海外渡航が観光ではなく、しかも一人で現地の家庭にホームステイするという現実が、私の心に不安の影を落とした。未知への期待よりも、ためらいの方が勝ち、結局参加を辞退してしまった。あの時の自分の背中を、今でも心のどこかで押してあげたかったと思う。

大学に進学したものの、世界は新型コロナに包まれ、自由な移動はかつてなく制限された。海外どころか、国内旅行さえままならない日々。そんなある晩、偶然目にした中国ドラマが、私の心に再び火を灯した。映像の中の街並みや人々の会話、流れるような中国語の響きが、画面越しにも鮮やかに伝わってきた。そのとき初めて、「行けないのなら、学べばいい」と思い立ち、中国語の勉強を始めた。

最初の壁は発音だった。声調が少し違うだけで意味が変わってしまう中国語は、日本語とは全く異なる難しさを持っていた。ノートに四声を書き込み、何度も声に出し、録音して聞き直す日々。もっと上達したいという思いから、オンライン留学にも挑戦した。短期集中型の1週間コースを2回、さらに半年間、平日の夜に4時間ずつ、中国語を中国語で学ぶという本格的な授業を1回。画面越しに先生やクラスメイトと中国語で会話を重ねる時間は、まるで日常が少し中国に近づくような感覚だった。この経験のおかげで、中国語の実力は飛躍的に伸び、HSK5級とHSKK中級を取得することができた。

さらに大学3年生からのゼミでは、中国の会社法をテーマに学びを深めた。202110月には、当時在籍していた岡山大学と中国の華東政法大学によるオンライン国際交流セミナーに、法学部代表として参加し、中国の学生の前でスピーチを行った。画面越しとはいえ、中国の若者と直接意見を交わす経験は、高校時代に一歩を踏み出せなかった自分を乗り越えた瞬間でもあった。

振り返れば、高校生の私は、中国という大きな世界の前で立ち止まってしまった。しかし、大学での学びと出会い、オンラインでの交流を重ねた今の私は、ためらう理由を見つけられない。むしろ、自分の目と耳で中国の人々や街の息づかいを感じ、学んだ言葉で直接会話を交わしたいと心から思う。

 あのとき行けなかった中国へ、いつか必ず。あの時の衝動が、今は確かな決意となって私の中に息づいている。

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