“漆芸”という共通点を通じて繋がる

2025-11-17 13:30:00

川口春

 

「早上好。你今天做什么?」

朝の工房には、今日も中国語の挨拶が飛び交う。最初こそ耳慣れないその言葉に戸惑いを覚えたが、今では不思議な心地よさを感じるようになっている。

私は広島県にある国公立大学で、美術を学んでいる。専攻は漆造形。日本の伝統工芸である漆芸の分野だ。漆を素材とした表現技法を学びながら、日々、作品制作に励んでいる。

私たちの学びの場は、「工房」と呼ばれる実習室。そこには漆の独特な香りが漂い、刷毛や木地が静かに出番を待っている。けれど、この工房は少し変わっている。まるで、大学の中の“小さな中国”のようなのだ。

現在、工房には31人が所属している。その半数以上が中国からの留学生で、文化も言葉も異なる彼らと肩を並べ、同じ空間で制作する日々を過ごしている。今でこそ、そんな環境を自然に受け入れられるようになったが、最初からそうだったわけではない。

思い返せば、当初の私の心には無意識の内に彼らに対する偏見を持っていた。自分では意識していないつもりだったが、その感情の源は明らかだった。ニュース番組、ネット記事、SNSで流れてくる短い映像や切り取られた言葉の数々。そこに映るのは、どこか誇張され、歪められた「中国人のイメージ」だった。実際に話したこともなく、彼らのことを何ひとつ知らないままに、そんな歪んだ「印象」の影響を受け、私はそうしたフィルターを通して、彼らを見ていたのだ。

さらに、言語の壁もまた、心を閉ざす要因となった。日常的に耳にすることのなかった中国語は、私にとって理解しがたい「音の流れ」であり、言葉が通じないという事実が、さらに距離を広げていた。

そんなことも相俟って、私はただ黙って自分の作品に向かうことしかできなかった。

けれど、彼らの机の上に並ぶ作品には、いつも目を奪われていた。漆芸を学ぶ者として、日本にはない表現方法や技術を目の前に、何をモチーフにしているのか、どんな技法を使っているのか、聞きたいことは山ほどあった。しかし、それを言葉にしてコミュニケーションをとる勇気が持てなかった。

そんな私に変化をもたらしたのは、ある中国人研究生、暁さんだった。

ある日、彼女がコピー機の使い方に困っている様子を見かけ、私は何気なく手を貸した。その直後、席で作業をしていると、彼女が私の机を覗き込んで声をかけてきた。

「川口さん、今何を作っているのですか? 作品を見てみたいです。」

その言葉は、私の心にすっと入り込んできた。驚きとともに、嬉しさがこみ上げる。しどろもどろに「カメ、レオンです」と答えると、彼女はにっこり笑って言った。

「ああ、!」

とっさに私も聞き返した。「暁さんは、何を作っているのですか?」

それが、私たちの最初の会話だった。たったそれだけの、でも確かな一歩。そこから少しずつ、共通の話題である漆芸について話すようになり、次第に他の留学生たちとも交流を始めるようになった。

毎朝「おはよう」と挨拶し、作品について互いに意見やアドバイス、感想を伝え合う。互いに得意な技法を教え合い、時に冗談を交わす。気づけば、あれほど高く感じた言葉の壁や当初あった偏見も、もうほとんど意識しなくなっていた。

実際に交流を深めていく内に、私にとって彼らは、ただの“中国人”ではなく、共に同じ課題に取り組む仲間であり、時に同じ創作の道を志す良きライバルであり、そして、異なるルーツを通して互いに刺激を与え合う貴重な存在となった。

私はこの分野に身を置く中で、「違い」に触れることの喜びを知った。

言葉も文化も異なる仲間たちと、漆という共通の素材を通じて対話し、学び合い、感性を刺激し合うことができる。それは、単なる国際交流を超えた、深い精神的なつながりのように感じられる。

 文化も言語も超えて、作品を通して、私たちは確かに繋がっているのだ。

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