中国語が拓く本当の中国
2025-11-17 13:31:00
深井克行
1年前まで、私の毎日に中国との関わりは殆どなかった。
大学時代、学内に中国人留学生が多くいたが、一人とも話さないまま卒業した。外国語といえば英語で、第2外国語にはドイツ語を選び、中国語という選択肢は全く頭になかった。社会人になってからも、大阪府内の自宅と職場を往復するだけの、いわば半径数十キロ以内で完結する生活を送っていた。そんな私が、今は朝起きると隣に中国人女性がいて、日々中国語の勉強に励んでいる。この生活を1年前の自分に話してもきっと信じてもらえないだろう。
私が中国語を勉強していると話すと、ほとんど必ず「彼女は日本語を話せないの?」とか「日本語を勉強してもらった方が良いのでは?」といった反応が返ってくる。実際、彼女は日本語を流暢に話せる。だから、日常生活で私が中国語を使う必要はない。それでも私が中国語を学びたいと思うのは、彼女をもっと深く理解したいからだ。
私の考えや気持ちは日本語で伝えられ、それを彼女は理解してくれる。しかし、彼女が物事を考えるときに使う言語は、おそらく中国語だろう。その中には、日本語に置き換えられない感情や、翻訳した途端に色あせてしまう微妙なニュアンスがあるかもしれない。例えば、日本語の「懐かしい」や「勿体ない」に完全に一致する英語が無いというように、中国語にも日本語にない表現があるだろう。もし私が中国語を理解できれば、彼女の思いをより直接的に感じられるはずだ。そして、自分自身も、日本語では表せなかった感情や考えを新たな形で言葉にできるかもしれない。
こんなことは彼女と出会う前には考えたこともなかった。私は長い間、日本語というフィルターを通してしか世界を見てこなかった。外国の情報は、日本語に訳されたニュースや本から得る。それらは便利だが、訳す人の解釈や価値観が混ざり込む。そもそも日本語に存在しない表現を、無理に日本語へ置き換えている場合もある。私はそういった“加工された情報”でしか中国を知らなかったのだ。
近年、AIや翻訳技術は急速に進歩し、スマートフォンをかざせばリアルタイムに翻訳が表示される時代になった。近い将来、翻訳アプリがさらに高精度になり、「言語の壁」がなくなる日が来るかもしれない。しかし私は、翻訳で意味がわかることと、その言語を自分で理解することは別物だと考えている。なぜなら、自分の言語しか使えない限り、その言語で表現できる範囲のことしか思考できないからだ。
例えば、日本語しか知らなければ、日本語で思いつく発想や日本語で説明できる価値観という枠から出ることが難しい。言語は形式的な記号のようなものではなく、文化や歴史、価値観によって発展した器だ。器が違えば、見える世界も変わるだろう。そう思うようになったのは、彼女と過ごす中で、稀に私が彼女に伝えるために言葉を選び、失われる“何か”を自覚したこと、そして同じように彼女が日本語に訳したときにも何かを失っているのではないかと感じたからだ。
私にとって中国は、まだほとんど何も知らない地だ。35年間、地図上では知っていても、文化や人々の感覚を肌で感じたことはない。ニュースや教科書で知る中国は、あくまで日本語に翻訳された中国であり、本当の中国ではない。だからこそ私は、日本語を介さず、中国語で直接その世界を感じたいと思うようになった。
便利なツールによって「分かったつもり」になれる時代だからこそ、自分で学び、感じ、理解することに価値があると信じている。私にとってのきっかけは、彼女との出会いだったが、この学びは彼女との関係だけで終わるものではない。言語を通して見える中国は、きっと私の世界を広げ、新しい自分をつくるだろう。
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