漢字の架け橋

2025-11-17 13:41:00

渡邉鈴菜


高校に入学してすぐ、私と中国語との「本気の付き合い」が始まった。中学ではほんのさわりだけだったこの言語が、突然、毎日の授業に組み込まれ、生活の中に入り込んできた。

最初の授業で教科書を開いたとき、目に飛び込んできたのは、日本でも見慣れた「漢字」たちだった。けれど、読み方も意味も、日本語と微妙に違う。どこか知っているようで知らないそれらは、私にとってまるで、複雑に絡み合ったパズルのようだった。

特に「得」や「的」といった助詞は、理解しようとすればするほど混乱していく。文を一つ作るだけでも一苦労で、「この学びには終わりがないのかもしれない」と、少し気が重くなったのを覚えている。

でも、ある日ふと気づいたことがあった。漢字は確かに“壁”だけど、同時に“架け橋”でもあるのだと。たとえば「家」という字。日本語では「いえ」や「うち」と読まれ、暮らしの場所や家族のことを連想させる。中国語でも「jia」と発音し、同じく「家庭」や「居場所」を意味する。屋根の下に「豕」がいる形から成り立っているという話を先生から聞いたとき、私ははっとした。人が安心して暮らす場所という意味が、こんなにも昔から共通しているのか、と。

また、「友」という字にも驚かされた。日本語でも中国語でも、どちらも「ともだち」を意味する。二つの「又」が並んでいるその形には、互いに手を取り合うような優しさが込められている。国や文化は違っても、人が人を大切に思う気持ちは同じなんだと感じた。

そんな時、私は思った。漢字は、ただの記号じゃない。人や心の暮らし、価値観までも映し出す「文化のかけら」なのだと。そして、それを共有している私たちは、想像以上に深いところでつながっているのかもしれない。

それはまるで、見知らぬ誰かと、同じ絵本のページをそれぞれの国でめくっているような、不思議で心あたたまるつながりだった。

その“つながり”は、ある日、現実の出会いとして目の前に現れた。中国出身の友人が、放課後の集まりの帰りに、私たちを車で送ってくれることになったのだ。運転席から「行くよ!」と笑顔で声を掛けてくれたその瞬間、教科書の中の“言葉”が、初めて「生きた言葉」として私の胸に届いた。言葉はただの知識じゃない。人と人を結び、心に灯をともす温かい存在なのだと、その時はっきりとわかった。

登下校の電車の窓に映る自分を見るたび、かつての「日本語だけの私」と、今の「中国語を学ぶ私」とが重なる。言葉を学ぶことで、私の世界は確かに広がった。漢字一文字一文字が、文化の違いや心の奥深くへと通じる小さな橋のように思える。

もちろん、発音も文法も、まだまだ難しい。でも、だからこそ、学ぶ意味がある。中国語は、もはや私にとって「授業の一コマ」ではない。それは、知らなかった世界を知るための扉であり、人と人をつなぐための、かけがえのない鍵なのだ。

関連文章