異郷に芽吹き、見つけた私

2025-11-17 13:53:00

藤原有花

 

私は4歳から10歳までの6年間、父の仕事の関係で中国の広州で過ごした。初めて飛行機に乗って向かった異国の地。そこには、不安とわくわくの入り混じった日々が待っていた。

今、日本と中国の経済関係は非常に緊密であるといえる。だが私が引っ越した2012年、対日デモが中国各地で繰り広げられていた。住んでいたマンションの下でも日本語の看板が壊されるなど、幼いながらにただならぬ空気を感じていた。母によれば、スーパーに行くのも躊躇われる状況だったという。この騒動の原因は領土問題だった。

そんな不安な日々で始まった中国での生活だったが、気づけばそれは私にとってかけがえのないものへと変わっていた。というのも、小さな交流の積み重ねが私の心をあたたかく包み込んでくれたからだ。例えば、マンションの警備員さんは毎朝「早上好!」と笑顔で挨拶してくれ、通りすがりの人は「可愛」と話しかけてくれた。習い事の先生が「日本ダイスキ!」と話してくれたことも、今でも覚えている。私は広州にいた6年間、日本に帰りたいと思ったことはなかった。それほど、広州での生活は心地が良かった。

私が通っていた日本人小学校では、現地の中国の小学校との交流もあった。変面の切り絵を教わったり、中国ゴマで一緒に遊んだりする中で、言葉が通じなくても心が通じることを体感した。文化の違いを教え合う中で、自然と人との繋がりが生まれる。それは幼い私にとって、心に深く残る経験だった。子どもながらに違いは壁ではなく、学びの入り口だと体で感じていたのかもしれない。

しかし日本に帰国してからは、中国に住んでいたことを言いにくく感じるようになった。それは、中国に対して良くない印象を持っている人が多く、私が現地で感じていた温かさとのギャップに戸惑ったからだ。

そういった印象の偏りは、SNSなどで過激な映像や極端な意見が一方的に広まることが一因だと感じる。その反面、SNSは気軽に中国の人々と交流できる貴重な手段でもある。違いを知ることは本来理解を深める第一歩のはずなのに、それが対立や偏見につながってしまうのはとても残念だ。

けれど私は知っている。中国にも日本と同じように優しい人たちがいるということを。広州では電車やバスで立っていると、必ずといっていいほど自然に席を譲ってくれた。それは義務感からではなく、当たり前の行動のように思えた。そんな人への思いやりの心は、国境を越えて共通していると身をもって感じた。違いの先にある共通点に目を向ければ、きっともっと分かり合えるはずだ。

最近では、中国とのつながりを自分の手で紡ぎ直したいという思いから、中国語を学び直しHSKという中国語検定の受験にも挑戦している。中国で育ちながらも現地語を少ししか話せない自分にもどかしさを感じていたからだ。

私はこの夏、万博の中国館を訪れた。歴史や最先端技術、持続可能な取り組みが多角的に紹介されており、展示を通して五感で中国の魅力を体験できた。それは単なる知識にとどまらず、歴史の奥深さや想像力をかき立てる内容で、世代を問わず新たな発見があった。さらに、日中の架け橋となった人物の彫刻も並び、歴史を未来へつなごうとする姿勢が万博にふさわしいと感じた。その上で、文化交流の場の大切さにも、改めて気づかされた。

広州で過ごした日々は、私にとってキラキラとした冒険のようだった。にぎやかな街並み、大きなクラクションの音、公園で卓球を楽しむ人々。私にとって音と色であふれたもうひとつのふるさとであり、あの頃の景色や人々の優しさが今もふとした瞬間に胸を満たす。

たとえ文化や言語が違っても、お互いを知り理解しようとする姿勢があれば、私達はもっと近づけると信じている。これからも人とのつながりを大切にしながら、ささやかでも日本と中国の架け橋になれるよう歩んでいきたい。

 

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