長江に恋して、一つの河から広がる世界との対話

2025-11-17 14:26:00

林谷彬生

 

私は、いつの間にか長江に恋をした。このようにこの作文を書き始めると、まるで嘘をついているように思われるかもしれない。しかし、これは決して嘘ではない。私はこれまで長江どころか中国本土にも一度も足を運んだことがない。それでも、私は確かにこの巨大な河に心惹かれ、憧れ、恋をしたのだ。ではなぜそんなことが起こったのか。それには、高校二年生の時に始まった、私と中国文化との出会いが深く関係している。

私の通っていた高校では、二年生になると第二外国語の必修授業があり、独、仏、中の三つから一つを選ぶことになっていた。私は特に外国語に興味があったわけでもなく、「なんとなく人気があるらしいから」という、軽い気持ちで中国語を選んだ。しかし、それがある意味では運命的な選択であり、同時に大きな苦労の始まりでもあった。なぜなら、私は声調の発音が壊滅的に苦手だったのだ。四声の違いが身につかず、それによって単語の意味も混乱し、授業中に何度も先生から発音の修正するのが苦痛だった。そのころの私は、中国語の授業が正直一番嫌いだった。

そんなある日、少しでも楽しく勉強ができないかと考え、中国語のネット動画を探していたところ、偶然出会ったのが、竹内亮さんという日本人監督が手がけた「再会長江」というドキュメンタリーだった。最初は軽い気持ちで再生ボタンを押した。だが、画面に映し出された光景を目にした瞬間、私は完全に魅了されてしまった。そこにあったのは、画面越しでも圧倒されるほど雄大な長江の流れ、そしてその両岸に広がる山々、都市、人々の暮らしだった。上流と下流とではまるで異なる風景や文化が存在し、それぞれの地域に生きる人々の物語が丁寧に描かれていた。その姿を見て私はまず中国という「大陸」そのものに恋をした。そして、そんな多様性を内包する一本の大河、長江に強く心を奪われたのだった。

そこから私は、「もっと中国のことを知りたい」と思うようになった。中国語そのものへの興味は薄れていったが、中国文化や歴史、人々の生き方を知りたいという気持ちは日々強くなっていった。本末転倒かもしれないが、それほど私は中国という存在、そして長江に惹かれていたのだ。その後、中国文化について書籍や映像を通じて学ぶようになり、中国には多様な民族が共存しているという事実を知った。言語や宗教、生活様式は異なっても、同じ国の中でそれぞれの文化を尊重しながら生きる人々がいることに、私は深く感動した。「再会長江」を見たときにも微かに感じていたが、その文化の多様性と共存を実際に自分の目で見たいという気持ちが芽生えた。

そんな思いが膨らんでいた20235月、角川シネマ有楽町で「竹内亮ドキュメンタリーウィーク」が開催され、「再会長江」を含む4作品が上映された。私は放課後、有楽町に向かい、前もって買っておいたチケットを握りしめて映画を観た。そして上映後、竹内監督と少しだけお話しする機会を得た。短い会話だったが、その中で彼が私に「いつか中国においで」と声をかけてくださった。この一言が、私の心に火をつけた。それから私は、なんと三年生でも中国語の授業を自ら選択した。必修でもないのに、声調が苦手な自分がもう一度挑戦しようと思えたのは、文化への愛情がすべてを超えたからだった。もう一年間、中国文化に触れられることが、ただただ嬉しかった。

今、世界は分断の時代にある。しかし、「再会長江」で見た中国大陸のように、多様な文化を内包し、互いを認め合いながら共に生きる姿は、きっと世界のどこにでも可能性として存在している。私たちがその存在を見ようとすれば、分断の向こうにある共生の風景を見つけることができる。だからこそ、対話をあきらめてはいけない。私が長江に恋をしたように、他者の文化に心を開くことが、信頼と理解への第一歩なのだと思う。

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