書がつなぐわたしと中国
2025-11-17 15:03:00
中井梨音
小学校3年生から私は3年間習字を習い、高校に入ってからも書道の授業で書に触れる機会がありました。私と中国のつながりを最も強く感じるのは、書を通してです。習字は私があまり好きではなかった習い事の中でも続けられたものでもありました。決まった道具の配置や動作、手本があるにも関わらず必ず書く人によってその人らしい筆跡が墨に残ります。手本がないときには、その漢字の意味を読み解いて、独自の解釈で表現するところにも習字の奥深さがあります。しかし、高校で学んだのは、ただ整った字を書くことではなく、書を通して歴史や文化に触れるという新しい観点でした。私が小学校の頃に学んだ習字と書道は別物にすぎません。
では、書とはどういうものであるのか。それを理解したのはすぐでした。その教科書には中国の歴史とともに残された多くの碑が載せられていました。甲骨文から始まる漢字の歴史など書の歴史がありました。最初に学んだのは孔子廟堂碑、九成宮醴泉銘、雁塔聖教序などの現存の楷書のルーツと言える碑でした。今、私たちが使っている文字とほとんど遜色ない字形であり、古来中国とのつながりを感じます。そして、私が書道の授業で最も印象に残った碑が顔真卿が書者の顔氏家廟碑です。顔氏家廟碑の文字はこれまで習った書とは、まるで別物であるかのように、急に太く力強くなるような特徴がありました。その時代の緊張感や社会の空気が刻み込まれているように感じられました。戦が頻繁に行われていたような今までとは違う時代背景の中このような書風が表れていることに驚き、興味を持ちました。私が高校で学んだ書はただの「字」ではなく、そこには書き手の生きた証や背景が宿っており、私は深く心を動かされました。
授業内では中国の書を臨書することもありました。臨書といっても、同じ字を写しても書き手によって筆跡はまったく異なります。その人の人柄や思いが同じ形であっても唯一無二の表現になります。私は、その「その人にしか書けない一文字」に大きな魅力を感じました。特に臨書の半紙に向かうときは、まわりの時間は止まっているようで、筆と墨だけが進んでいくような感覚がありました。その不思議な感覚が、私をさらに書道へ引き込んでいきました。臨書をするときは、ただ形をまねるだけではなく、その時代に生きた人物の息遣いや考え方までも感じ取ることができます。その人が自分に憑依しているかのように筆を運ぶとき、私は書を学ぶ醍醐味を感じます。特に授業内で歴史や背景を学んだ後に書くときほど感じられるものはありません。書は、過去と現在を結びつける特別な体験を与えてくれるものだと思います。
さらに書を通して、漢字への意識も変わりました。私たちが日常で使っている漢字は、長い年月をかけて少しずつ形を変え、中国から受け継がれてきたものです。一つ一つの字の背後には中国が歩んできた歴史、文化があります。そのことを知って以来、普段書く字にも重みを感じるようになりました。
今、私は学校で中国語を学んでいます。日本語よりも多くの漢字を用いる中国語を学ぶとき、書道での学びが頭をよぎります。漢字の意味や成り立ちを意識しながら学習することで、中国の歴史や文化に触れているような感覚になるのです。このように、私にとって中国は遠い国ではなく、文字を通じて常に身近にある国です。書を通して中国の歴史や文化に触れ、そして中国語の学習を通じてその歴史の重みを実感しています。書という共通の文化は日本人の私たちと中国をつなぐ架け橋です。
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