厨房に宿った奇跡
2025-11-17 15:05:00
西川沙良
アルバイト先の中華料理店で、私は一人の中国人の料理人と出会った。その店でただ一人の中国人ということもあって、彼は無口で、目が合っても微笑むことはなく、口調もどこか鋭い。その姿に、私は怖さを覚え、自然と距離を置いていた。「中国の人は気迫があって怒っているように見える」心のどこかに、そんな偏見があったのかもしれない。彼はいつも一人で黙々と鍋を振り、誰とも深く関わろうとしなかった。
ある日、大学の授業で「偏見を捨てて、一人の人間として向き合って欲しい」という在日中国人の声を聞いた。胸を突かれた私は、そのとき初めて、心を閉ざしていたのは自分自身だったと気付いた。そして思い切って彼に「你好」と声をかけた。私が中国語を学んでいると知った彼は、少し驚いたように目を丸くし、そして初めて、柔らかな笑みを見せた。
こうして、私達の小さな交流が少しずつ育まれた。言葉が十分でなくても、身振りや笑顔が会話を支えてくれた。ある日、「今日は暑いですね、熱中症に気をつけて下さい」と声をかけると、彼は「君もね」と微笑み返してくれた。その瞬間、互いの間にあった見えない壁が、ふっと和らいだ気がした。
彼にとって料理とは、単なる仕事ではなく、文化そのものだった。ある日、彼が賄いでチャーハンを作ってくれた。強い火力で一気に炒められたご飯は香ばしく、日本のチャーハンよりも深いコクがあった。「これが本場の味。でも日本のお客さんにはしょっぱいって言われるんだよ」と、彼は苦笑した。本場の味を守りたいという信念と、日本人の舌に合わせなければならない現実。その狭間で彼は葛藤していた。「伝統を捨てたわけじゃない。でも、伝えるには工夫がいる」ふと漏らした彼の言葉に、料理人としての矜持と苦悩が滲んでいた。
もちろん、言語の壁に悩む日もあった。ある日、厨房で新人の料理人が調理の手順を間違え、彼が思わず声を荒らげる場面を目にした。ホールにいた私達は一瞬驚き、厨房の空気に戸惑いを覚えた。以前の私なら怒っていると受け取り、萎縮していただろう。だが、今の私にはそれが「伝えたいのに伝わらないもどかしさ」から来るものであるということも、彼の言葉の奥には誠実な思いがあることも理解できた。料理は彼にとって妥協のない文化の表現であり、正しく伝えたいという強い信念があった。だから私は戸惑うスタッフに、「彼は怒っているんじゃないよ」と思いを代弁した。すると次第に、他のスタッフも彼の本当の思いを汲み取り、身振りを用いながら、少しずつ彼に話しかけるようになった。「今度、特製のまかないを作ってもらえませんか?」と笑顔で声をかける姿も見られるようになった。彼もどこか嬉しそうに見えた。「皆とこんなに話せるようになったのは、あなたのおかげだよ」と感謝の言葉をかけられたとき、自分の行動が誰かの心と心を繋ぐ小さな架け橋になれたのだと実感した。
そんなある日、台湾への留学を控え、不安に押しつぶされそうになっていた私に、彼がそっと声をかけてくれた。「你可以的。加油!」「あなたなら大丈夫。頑張れ!」いつも寡黙だった彼が、不器用ながらも真っ直ぐに伝えてくれたその言葉に、胸が熱くなった。私が休憩室で中国語を勉強する姿を、彼は見てくれていたのだ。自分を信じきれずにいた私にとって、認めて、背中を押してくれる人がいるという事実は、何よりの支えになった。誰かの期待に応えようとするのではなく、まずは私自身が自分を信じようと思えた。
あの厨房での日々は、単なるアルバイトに留まらず、文化も言葉も異なる相手と向き合い、少しずつ心を通わせる中で、「相手を理解しようとする努力」こそが人と人を繋ぐのだと学んだ。彼との出会いを機に、中国語は単なる学びの道具ではなく、私の世界を広げてくれる大きな力へと変わった。あの日々で得たものは、今も私の背中を静かに押し、前へと導いてくれる。
| チャイナネット | 北京週報 | 中国画報 | 人民網日本語版 | 新華網日本語版 | 中国国際放送局 |
| 駐日本中国大使館 | 日中友好協会 | 東方書店 | 全国翻訳専門資格レベル試験ネット | ||
| CCTV大富 | Searchina | 大連中日文化交流協会 | 中国湖南 | 中国山東網 | 故宮博物院 |
| 東方ネット | 沪江日語 | 中日之窓 | 博看网 | 日本通 |
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号 TEL: (010)6831-3990 FAX: (010)6831-3850
京ICP備14043293号-1