頁に刻まれた、私たちの未来

2025-11-17 16:01:00

蒲原詩織

 

机の上に置かれた一冊の飛び出す絵本。

それは、中国から来た友人が、少し恥ずかしそうに差し出してくれた贈り物だった。

「君に、僕の国を知ってほしい」と、声には出さずとも、その眼差しが語っていた。

赤いリボンをほどき、そっと表紙を開いた瞬間、私は息をのんだ。厚い紙が幾重にも折り畳まれ、立ち上がるように姿を現したのは、壮麗な城壁と朱色に輝く門、夜空を飾る無数の灯籠の光だった。ページの中に潜んでいた扉が開かれ、遠いはずの国が目の前に現れたようで、胸の奥が不思議な震えで満ちていった。

次のページをめくれば、桂林の山々が水面に影を落とし、さらに進めば、上海の摩天楼が夜空を照らしていた。椅子に座ったままなのに、私は広大な大陸を旅しているような気持ちになった。小さな紙の造形が、遥か彼方の文化と自然を、ありありと私の目の前に呼び覚ましたのだ。

その横で、友人が口を開いた。

春節の夜、家族総出で餃子を包むこと。窓辺には真紅の飾りを貼り、街には爆竹の音が響き渡ること。無数の灯籠が夜空を漂い、闇は炎の色に染まっていくこと。

その声を聞いているうちに、私は日本の正月を思い出していた。雑煮の湯気に包まれた家族の団らん。初詣に向かう人々の背中。国は違えども、「大切な人と共に新しい年を祝う」という心は同じである。そのことに気づいた瞬間、胸の奥に温かな火がともった。

それから私は、図書室で中国の文化を探し始めた。

漢詩を開けば、李白の詩に詠まれる月や川が、日本の俳句に描かれる月や川と不思議に響き合った。言葉は違っても、自然に心を託す感覚は共通していた。茶文化を調べれば、静かに湯を注ぐ仕草や、客をもてなす心が、日本の茶の湯と重なり合った。歴史の流れの中で互いに渡り合い、響き合いながら育まれてきた文化の連なりを知り、私はその奥深さに惹かれていった。

もちろん、そこには影もある。授業で学んだ戦争の記憶は、重く胸にのしかかっていた。対立や誤解が、両国の歴史に確かに刻まれている。けれど、机の上で絵本をめくりながら笑う友人を見ていると、不思議な感覚に包まれた。影と光が同じ画面に重なり、暗さを塗りつぶすのではなく、その上に光が重ねられていくようだった。私はそこで初めて理解した。過去を消すのではなく、その重みを抱えたまま新しい未来を築いていくこと。人と人とが出会い、語り合うこと。それこそが国と国を照らす小さな灯火になるのだ、と。

やがて私は、教科書の中の「日中関係」ではなく、友人の声を通した「生きた中国」に触れるようになった。彼の家族の物語、祖父母から受け継がれた習慣、子どものころに遊んだ街角の記憶。それらはどれも、私自身の日本での記憶と不思議に響き合った。川のせせらぎの音や、夕焼けの匂い。文化や言葉は違っても、人の心に刻まれる風景は案外似ているのかもしれない。

今も私の本棚には、その飛び出す絵本がある。開けば、紙でできた城や山が立ち上がり、同時に友人の声と笑顔がよみがえる。中国は、もう遠い国ではない。私のすぐそばにいる隣人であり、私の心の中で息づいている存在なのだ。

私にとって「@Japanわたしと中国」とは、一冊の絵本から始まった物語である。ページをめくるたびに、国と国を結ぶ細い糸が指先に触れ、その糸はやがて網となって、私たちの未来を支える力になる。私はその糸を大切にたぐり寄せながら、未来へと続く新しいページを開いていきたい。

そしていつの日か、今度は私が日本の絵本を誰かに贈りたい。

富士山が雄大に立ち上がり、春には桜が舞い、夏には祭りの太鼓が響く飛び出す絵本を。秋の紅葉が色を重ね、冬の雪灯籠が静けさをたたえるページを。そこに描かれる四季の息遣いを手にした誰かが、日本の風景や音に心を躍らせ、また新しい物語を描き始めてくれることを願って。

 

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