あのときの空気
2025-11-17 16:05:00
四戸理稀
わたしは、その空気を今もはっきり覚えています。
七月のはじめ、飛行機の窓から見たのは、思っていたよりずっと澄んだ空でした。ニュースで見た映像とは違っていて、少し困惑しました。わたしはただ、遠くの、よく知らない国へ行く、という感覚しか持っていなかったのです。
中国という国には、幼い頃からどこか距離を感じていました。それは「情報」の距離だったのかもしれません。テレビもSNSも、「中国」を語るときは決まってなにかを警戒するような口調で、わたしはその声をそのまま受け取っていました。行ったことも、話したこともないのに、知ったふうな気になっていた。今思えば、それがいちばん恥ずかしいことでした。
大学の寮に着くと、歓迎の言葉とともに、年の近い学生たちがわたしたちを迎えてくれました。彼らはとても礼儀正しく、でも形式的ではなく、距離を詰めるのがとても上手でした。
ある学生が、わたしに話しかけてきました。
「日本語、まだ勉強中だけど、たくさん話したいです」
彼の言葉はたどたどしかったけれど、目はまっすぐで、恥ずかしそうにしながらもわたしの話を一言も聞き逃すまいとしていました。いつの間にか、わたしは彼に、自分の大学のことやアルバイトのこと、将来のことまで話していました。気づけば、自分でも驚くほど自然に。
彼だけではありません。彼女たちはみな、よく話し、よく笑い、ときには日本のことを心から心配してくれるような視線で見てきました。どこかで聞いた「日本はもうダメだ」という論調も、彼らの口から出ると、あまりにも率直で、あたたかく、耳が痛いけれど、心が開かれるような気がしました。
ある夜、女子学生と二人きりで部屋にいたときのこと。
「日本に行くのが夢なんです。でも、家が農村で、ちょっと難しくて」
そう言って、彼女は笑いました。その笑いは、どこか無理をしているようでした。
わたしには言える言葉がありませんでした。旅行で海外へ行けることを「普通」と思っていた自分が、急に小さく見えました。彼女が見ている「夢」と、わたしが口にしていた「夢」は、形が似ているようでいて、重さがまったく違っていたのです。
プログラムの後半には、意見交換の時間もありました。日本と中国、それぞれの国の問題について、同世代で話し合う。予想以上に鋭い意見が飛び交いました。
「日本人は、なぜ中国の話を“遠く”のことのように話すんですか?」
その問いに、わたしは答えられませんでした。確かにそうだったからです。自分でも、無意識に「自分とは関係のないこと」として受け止めていた。でも今、目の前にいるのは、同じ年齢で、同じように悩み、笑い、友だちを大切にしている「人」でした。
たった一週間。でも、その短い時間の中で、わたしのなかの「遠さ」は、ゆっくりと溶けていきました。
帰国してからも、彼らのことをよく思い出します。ニュースを見れば、彼らの顔が浮かびます。何を感じているだろう、どんな日々を過ごしているだろう。そんなふうに、ひとつの国を「顔」で思い出すようになったのは、これが初めてです。
これまで、わたしは「中国人」という言葉のなかに、人の顔を思い描くことができませんでした。でも今では、あの笑顔や声、少し訛った日本語が、言葉の奥に確かに重なっています。
国と国との関係は、たぶん、簡単には変わりません。わたしたち一人ひとりができることも、限られているかもしれない。
でも、目の前にいる誰かと向き合うことは、いつでもできる。
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