憧憬二十余年

2025-11-17 16:31:00

城岸優汰

 

いつの頃からか恋焦がれていたその地は、日本社会に於いては近くて遠い国であった。

慕情の原点へと思い巡らせた時、脳裏に浮かぶのは祖父の存在だ。私の祖父は中国・北京市の日本人家庭に出生した。昭和20年の終戦後、一家で日本へ引き揚げたものの、幼少の私にとってそれは、「中国」を意識するに十分なものであった。

胸中の微かな想いが明瞭となったのは、小学校4年生の頃である。私は歴史の虜となっていた。遥か悠久の古より世界に先駆け、文明を築き重厚な文化を育んできたことに驚愕した。いつの日か必ず、この地を自らの目で見るのだと心に誓った。

しかしながら、成長するにつれて対中批判的な世論を日常的に目にする様になり、中学校を卒業する頃には、かの憧れの「中国」という国をどこか遠く、曖昧な存在として捉えるようになっていた。その後も、歴史や古典への関心が消え去ることはなかったものの、以前の様な純粋な眼差しは最早失われており、心の中には漠然とした隔たりが生まれていた。

転機が訪れたのは、僅かに数年前の事である。機会に恵まれたのは、大学3年生へ進む頃、「日中学生交流団体freebird」という団体の主催する学生限定訪中団の参加者募集の案内を、意図せず目にした事に因る。行き先は雲南省。嘗て心に思い描いた地の一つである。あの頃の憧れを、私はふと思い出した。

初めて踏みしめた中国の大地は、想像を絶する驚きに満ち溢れていた。広く浸透した電子決済や街の至る所に整備された共有式自転車の仕組み等、日本社会との違いに触れる度に心躍り、変化の絶えぬ発展著しい都市景観には、現代中国の活力と可能性を肌で感じられた。

当訪中団の日程には現地の大学生との交流の時間が設けられており、ここで私は深く感動を覚えるに至った。彼らと実際に言葉を交わし、時間を共有する過程でそれ迄朧気であったその土地で生活する人々、海の向こうの学生達も自分達と何ら変わらぬ存在であると知った。そこにも、「人」が居た。冷静に一考すればそれは当然なのである。しかし、この時の私にとっては何より鮮烈な驚きであったのである。私の目が報道にある様な一面的なものでなく、多角的に捉えた世界を見た瞬間であった。

帰国後、この得難い感動を一過性のものとして終わらせたくない一心で、活動理念に感銘を受けた前出のfreebirdの一員となり、自身と同様の体験を一人でも多くの学生へ届けることを目標に活動している。

 

「哭晁卿衡」

日本晁卿辞帝都

征帆一片繞蓬壷

明月不帰沈碧海

白雲愁色満蒼梧

 

これは今から凡そ1300年前、唐の詩人李白と日本から遣唐使として海を渡り、後に客死した阿倍仲麻呂の国を超越して育まれた友情を象徴する一篇の詩である。この七言絶句には、深い哀悼の念が込められており、異文化を有する両国間に築かれた確かな関係の先例として今尚語り継がれている。遠い昔に成し得たことを、私達が現代に叶えられない道理は無いのである。

人と人には言葉がある。その可能性を私は信じている。身の上を超越した交流こそが異文化理解への第一歩であると確信している。言葉を通してこそ、私達は互いの差異を知り、それを受け入れ、尊重し合える筈だ。

多くの情報が身近となった現代に於いても、世界は依然として不安定である。国家間の関係がいかに動揺しようとも、固定観念や先入観に縛られることなく、自らの目で見、耳を傾け声を聴き、共に笑い合うことが出来る日の訪れを夢見て。私は今、自分に出来ることを積み重ねていこうと思う。これが未来への一歩であることを信じて。

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