ねぶか物語――中日文化比較の視点から

2026-02-06 16:56:00

劉徳有=文写真提供 

京の名物料理である「北京ダック」から話を始めよう。 

日本の友人を何人か誘って「北京ダック」を食べに行った。きつね色に焼き上がったアヒル(家禽化したカモ)が皿に薄く切り分けられ、細かく刻まれたネギと共に運ばれてくると、思わず友人の間から声が上がった――「うわっ、カモがネギを背負って来たぞ!」 

最初は、「カモがネギを背負って来る」というのが日本のことわざだとは知らなかった。あとになって、「カモ」という言葉が、日本語では「お人よし」を意味することを知った。このことわざの意味は、「お人よしが、だまされるだけでなく、相手にとって望みどおりのものや利益になるものを持って現れる」。このことわざから分かるのは、昔の日本人がカモをネギと一緒に煮て食べていたということだ。暮らしの中で、カモとネギの相性が抜群だと気付いたのだろう。今まさにカモを煮ようとしているときに、そのカモが自らネギを背負ってやって来たとしたら――こんなに都合のいい話があるだろうか。まさにうれしい誤算、願ってもない展開ではないか。 

ネギは古代、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わったと考えられている。遅くとも5世紀以前にはすでに伝来していたようだ。というのも、『日本書紀』の仁賢天皇6年9月の条には、すでに「秋葱あきぎ」という語が記されているからである。 

ネギは日本各地で栽培されており、中でも東京を中心とする関東地方では、土寄せしてネギの白い部分を太く育てる、寒さに強い品種が好まれている。日本語では「根深ねぶか」と呼ばれている。群馬県の下仁田は、中国山東省の章丘や寿光に当たる場所と言える。ここで栽培されるネギは、白い部分の直径が3~4にも達することがある。関東地方の人々は、こうした白い部分が太いネギを特に好んで食べている。一方、大阪や京都を中心とする関西地方では、「青ネギ」、すなわち葉が長く、葉鞘が短いタイプのネギが好まれている。その代表格が、有名な九条ネギだ。葉の長いこの青ネギは、関西の人々に特に親しまれている存在である。 

種類豊富な日本料理には、見た目以上の繊細さと工夫が詰まっている。その中には、ネギなしでは成り立たない料理も少なくない。確かに、日本人は、中国山東省の人々のように「ネギを煎餅(アワやトウモロコシの粉を薄くクレープ状に焼いたもの)で巻いて食べる」といった豪快な食べ方はしないものの、ネギは薬味として日々の食卓に欠かせない存在である。 

筆者が日本で記者をしていた頃に気付いたのは、多くのサラリーマンが仕事終わりにすぐ帰宅せず、一人で、あるいは気の合う仲間と連れ立って居酒屋に立ち寄り、気軽に一杯飲んだり、気ままなおしゃべりを楽しんだりする習慣があるということだった。また、街角の屋台にふらりと立ち寄り、酒を数杯とちょっとしたつまみを頼んで、肩の力を抜いてくつろぐ人も少なくなかった。中でも人気のつまみといえば、やはり庶民的な「焼き鳥」だろう。「焼き鳥」とはいうものの、実際には飛ぶ鳥とはまったく関係がない。一般的には、鶏肉や砂肝、レバーなどをネギのぶつ切りと交互に竹串に刺し、醤油や砂糖などで作ったタレにつけて焼いたもので、いわゆる「串焼き」や「串」と呼ばれるものだ。 

とはいえ、日本で最も庶民的な食べ物といえば、やはり種類豊富な麺類ではないだろうか。中でも代表的なのが「ラーメン」や「そば」だ。日本の大都市から地方の小さな町まで、どこへ行ってもラーメンやそばを出す食堂が軒を連ねている。例えば「そば」について言えば、ゆでた麺を小さなざるに盛り、醤油、砂糖、みりん、かつお節などで作ったつゆを添えて提供されるのが一般的だ。そのつゆには、細かく刻んだネギや大根おろしを薬味として加えるのが定番で、そばは「ズルズルッ」と音を立ててすすって食べるのが普通である。筆者が見たかぎり、料理の種類によってネギの切り方にもさまざまな工夫がされている。みじん切り、小口切り、斜め切り、千切りなど、用途に応じて使い分けられている。例えば、そばなどの麺類には、ネギを小口切りにして添えるのが一般的だ。そのネギは一度水にさらしてから使われることが多く、そうすることで辛味がやわらぎ、シャキッとした食感が引き立つのだという。また、多くの日本人が朝に口にするみそ汁にも、小口切りのネギが欠かせない。 

日本には、もう一つ代表的な料理がある。それは「すき焼き」と呼ばれる牛肉鍋だ。作り方は、まず平らな鉄鍋に薄く切った牛肉を並べる。それから最も重要な味付けの段階に入る。あらかじめ切っておいたネギ、春菊、豆腐、しらたきなどをたっぷり加えて一緒に煮込み、もちろん、適度に醤油と砂糖も加える。食べるときは、取り鉢に生卵を割り入れてよくかき混ぜ、ネギの旨みをたっぷり吸い込んだ牛肉や野菜をその中にくぐらせて食べる。こうすることで熱すぎず、しかも肉がとてもなめらかになって、絶妙な味わいになる。日本の友人によれば、すき焼きに最もふさわしい牛肉は「和牛」であり、なかでも特に名高いのが、兵庫県の「但馬牛」、滋賀県の「近江牛」、そして山形県の「米沢牛」だという。「但馬牛」は、神戸ビーフ松阪牛近江牛などの銘柄牛の素牛で、その肉質はきめ細かく、風味にも優れている。赤身の中に細かく脂肪が入り込み、赤と白がまだらに入り混じり、まるで霜をまぶしたかのように見えることから「霜降り」と呼ばれている。この霜降り牛肉との相性が抜群なのは、言うまでもなくネギである。中でも、群馬県産の「下仁田ネギ」は格別で、まさに最適の取り合わせとされている。もちろん、かつては中国山東省の章丘などから輸入された高品質なネギも日本で使われていたことがある。 

ネギという身近な食材も、文化のレンズを通して見れば、中日文化の違いを浮き彫りにする面白い題材となる。 

日本には、ネギを詠んだ俳句を残した俳人が数多くいる。俳句は、日本において400年以上の歴史を持つ詩の形式だ。五五、つまり5音7音5音の合計17音で構成されており、その最大の特徴は、極端なまでの省略にある。わずか17音では、物事を全て語り尽くすことはできない。そのため俳句は、一瞬の感覚を鋭く捉え、背景を語らず、余分をそぎ落とした簡潔な言葉で情緒を表現する詩型となった。そこには深い余韻と含蓄が求められ、決して容易に詠めるものではない。俳句は、その短さと凝縮された表現ゆえに、日本では「省略の文学」と呼ばれている。さらに、リズムのある言葉運びと、強い視覚的イメージによって、「言葉の音楽」あるいは「言葉の絵画」と評されることもある。 

伝統的な俳句を作る際には、必ず「季語」を織り込むことが求められる。というのも、俳句のような短い詩においては、人々が共有する季節感が不可欠な要素だからである。季語は、俳人が自然への思いを託す媒介であり、俳句の表現を豊かにするために欠かせない要素であって、定型を満たすためだけに形ばかり添えられるものでは決してない。俳句における季語は、「比喩」や「象徴」「暗示」「連想」などの効果を生み出し、読者の想像力を喚起する。ゆえに、日本の俳句界では「俳句は生かすも殺すも季語次第」との言い方が広く知られている。 

日本列島の美しい自然と、豊かに移り変わる四季は、感受性の強い日本人の中で、たくさんの美しい「季語」を育ててきた(もちろん、その多くは中国から伝わったものでもある)。そうした「季語」が増えることで、日本人の自然へのまなざしはさらに深まり、自然への愛情もいっそう豊かになっていった。こうして俳句における「季語」は、日本文学の発展の中で次第に洗練されていき、俳句の趣をいっそう引き立てるだけでなく、日本人の美意識の伝統としても根付いていったのである。「季語」は日本文化の貴重な遺産として、人々が日本文化を考察し理解する上での重要なキーワード群となっている。 

ネギは、日本の俳句における多彩な「季語」の一つであり、すでに慣習的に冬の季語として定着していて、寒さを表すものとなっている。これはおそらく、ネギが本来シベリアやバイカル湖周辺といった寒冷地を原産とする、典型的な耐寒性に優れた植物であることと関係しているのだろう。日本では冬がネギの旬であり、人々はネギを見ると身を切るような寒さを感じる。そうした背景から、日本の俳句の世界ではネギを冬の季語とするようになったのだと思う。 

与謝蕪村(1716~83年)は江戸時代を代表する俳人の一人であり、「ネギ」という季語を用い、広く人々に親しまれている一句「易水にねぶか流るる寒さかな」を詠んでいる。 

蕪村は、実際に中国河北省の易水を訪れたことはなく、この句は彼の想像力によって生み出されたものである。『史記』によれば、燕の太子丹は秦の王政(後の始皇帝)からの屈辱に耐えかね、荊軻を差し向けてその暗殺を企てた。荊軻は易水のほとりから出発する際、こう歌ったと伝えられている。「風蕭々として易水寒し 壮士ひとたび去りてふたたかえらず」。漢学の素養を持つ日本人なら、この詩を読むことができ、暗唱もできる。明らかに、蕪村はこの詩を読んだ上で、情景を想像し、この俳句を詠んだのだ。この句の意味はこうだ――「風蕭々として易水寒し」で広く知られる易水は、今日もまた、あの荊軻が旅立ったときのように、ひどく寒い日を迎えている。ふと見ると、誰かが上流から一本の根深を投げ入れたのだろうか。その根深は川の流れに乗って、ゆらゆらと、ゆっくり漂いながら流れてくる。その白い茎が目に入ったとたん、思わず身を切るような寒さを感じるのだった。作者は根深を用いて、易水の寒さを際立たせている。著名な詩人林林氏はかつて「この感覚は、中国人にはなかなか理解しがたいだろう」と語ったことがある。実際、中国人がネギの白い茎を目にしたとしても、それだけで身を切るような寒さを覚えることは、まずないに違いない。 

思い返せば、改革開放後の数年間、中国北方では冬になると、新しく収穫されたネギが朝市に山のように積まれ、それが冬の風物詩となっていた。とはいえ、中国人がネギの白い茎に抱く季節感は日本人とはまるで異なり、そこから寒さを連想することはほとんどない。だからこそ、「易水の上流から流れてきた根深」と「易水の寒さ」との間に、どのような内面的なつながりがあるのか――それを中国人が理解するのは、決してたやすいことではない。 

こうした感覚の違いこそが、中日の文化的差異を象徴しており、それが相互理解を難しくしているのではないだろうか。 

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