平山郁夫氏を偲び、中日友好交流の貴重な歴史を大切に

2025-07-01 16:43:00

平山郁夫氏の生誕95周年を記念する座談会が625日、北京外国語大学日本学研究センターで開催された。同座談会は、日本の画家・平山郁夫氏の芸術的功績と、中日文化交流および中日関係の改善に対する同氏の貢献を偲びつつ、平山精神が現代における意義について議論を深め、中日間の民間友好交流のさらなる促進を目指すものである。

座談会には、中国文化部の劉徳有元副部長が書面によるあいさつを寄せ、「平山先生を深く偲び、中日友好交流の貴重な歴史を振り返ることは、今後の中日の民間友好、文化交流、青少年交流、経済・貿易協力などを推進する上で、極めて重要な意義を持っています」と述べた。以下に、劉徳有氏の発言を抜粋で紹介する。

 

 

  私が平山郁夫先生と最も多く接したのは、「中日韓文化交流フォーラム」の場です。2005年にスタートしたこのフォーラムは、平山先生の提唱によって創設されました。平山先生は一貫して、文化の力で東アジアの平和を築くことを主張していました。フォーラムは毎年開催され、中日韓三カ国が持ち回りで主催します。平山先生は日本代表団の団長を務め、私は中国代表団の団長に選ばれました。このフォーラムに関しては、数多くの忘れがたい思い出があります。

  200510月、中日韓文化交流フォーラムが東京で開催されました。平山先生の提案により、日本放送協会(NHK)は東京の千代田放送会館で、斬新なテレビ座談会を開催しました。この座談会は三カ国の文化交流をいかに展開すべきかということがテーマで、会場には300人以上の観衆が集まりました。平山先生の発言は、私にとって極めて印象深いものでした。平山先生は日本文化が歴史上、中国や東アジア各国と深い関係を持っていたことを振り返り、平和の重要性を強調しました。また、平山先生は、「日本人は過去の歴史から教訓を汲み取らなければいけません。現在、日本には憲法改正を主張する人もいますが、日本国憲法には、国際紛争の解決手段として武力を使用せず、戦争に参加せず、平和的な方法で国際社会に貢献することが明記されています。日本は戦争の放棄を宣言しており、これを守らなければいけません」と語りました。さらに、平山先生は日本の若者に、二度と銃口をアジアに向けてはならないと訴えました。日本の母親たちは、自分の息子にもう一度銃を持たないように教えるべきであり、平和こそが世界の潮流であると強く呼びかけたのです。

  東京でこのフォーラムを開催した時、平山先生は、「来年、2008年は北京でオリンピックが開催され、日中平和友好条約締結30周年と『日中青少年友好交流年』に当たる年です。私たちは文化交流において大きなアクションを起こす必要があります」とたびたび語っていました。そして、平山先生はすぐさまこの考えを行動に移しました。

  200847日、「平山郁夫美術展」が中国美術館で盛大に開催され、同時に、先生の伝記『悠悠大河』の中国語版も発表されました。平山先生の多くの名作が展示された大規模な美術展を通じ、観客一人一人がこの巨匠の絵画分野での輝かしい芸術的成果を目の当たりにし、先生の芸術的な魅力と造詣に深く感じ入ったのです。これは30年前に中日両国政府が締結した「中日平和友好条約」に対する平山先生からの最高の記念であり、オリンピック開催に際しての中国人民への祝福でもあります。

  翌年、20091015日、第5回中日韓文化交流フォーラムが中国の揚州で開催されましたが、残念ながら平山先生は出席できませんでした。先生からフォーラムの事務局に送られてきた手紙には、次のようにつづられていました。

 「日本人は、今年の開催地である揚州が、鑑真和上の生まれ故郷であることを知っています。約1300年前、鑑真和上は5回の失敗を経てもなお決意を変えることなく、命を賭して日本に来ました。その結果、失明したエピソードは誰もが知っています。鑑真和上は日本に仏教の経、律、論の精髄をもたらしただけでなく、当時鑑真和上が持ち込んだ最新の中国文化は、全力を注いで国家を築いていた日本にとって、大きな恩恵でした」「当時の日本の民衆は、中国や朝鮮から文化を貪欲に吸収し、大陸各国と並んで歩もうと努力しました。その意味で、鑑真和上は日本の大恩人です」「鑑真和上の故郷で開催される今回の『日中韓文化交流フォーラム』と同時開催の『仏教フォーラム』と『筆会』が期待通り、豊かな成果を収めるよう願っています」「私は会議に出席して発言したいと思っていましたが、体調がすぐれないため出席できず、深くお詫び申し上げます」「中国で開催される日中韓文化交流フォーラムの成功を祈るとともに、皆様の努力に敬意を表します」

 思いもよらないことに、それから2カ月も経たない2009122日、平山先生はお亡くなりになり、これらの言葉は平山先生が私たちに残した貴重な遺言となりました。

 今日、私たちがここで本座談会を開催し、平山先生を深く偲び、中日友好交流の貴重な歴史を振り返ることは、今後の中日の民間友好、文化交流、青少年交流、経済・貿易協力などを推進する上で、極めて重要な意義を持っています。

 今年は折しも、中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利80周年に当たります。私たちは正しく歴史を認識し、歴史に向き合わなければならず、歴史を胸に刻んでこそ、よりしっかりと未来を切り開くことができます。歴史を忘れれば、進む方向を見失ってしまいます。現在、中日両国は「中日共同声明」など複数の基本文書の精神と原則を堅持すべきです。なぜなら、これらは中日関係の政治的基礎であるからです。そうすれば、中日両国が戦略的互恵関係を全面的に推進し、新時代の要請にかなう建設的で安定した二国間関係を築くこと、さらには両国の人々が世代友好を続けていくよう積極的に促し、アジアと世界の平和を後押しする上で必ずやプラスとなることでしょう。

 今日の中日関係は戦後、両国の人々の一致した努力によって築かれてきたものです。いかなる者にとっても、この得難い中日友好の実を損なってよい道理など存在しません。誰かがこれを損なったとしたら、心血を注いできた両国の先人たち、そして両国の子孫たちにどう顔向けすればよいのでしょうか。中日両国の関係のキーワードは平和、友好、協力、ウィンウィンであり、憎しみ、反目、対立、戦争であってはなりません。一言で言えば平和友好、これこそが私たちの進むべき方向なのです!

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