風景を読み直す

2026-09-30 13:22:00

青柳祐基

黒門を潜ると、偕楽園の道は杉と孟宗竹の深い翳りへ続いてゆく。観梅の名所にありながら、しばらく花は見えない。林を抜けて好文亭へ至り、楼に登ると、景は俄にひらけ、光のうちに梅林と千波湖が現れる。

しかし、その日、私の心に最も深く残ったものは、その眺望の後にあった。広間を仕切る杉戸に、細かな文字が記されていた。「上平」。その脇には、「東、涷、蝀、同、銅……」と連なっている。そこに在るものは目に入る。だが、それが何であるかを知らなければ、風景の一部として見過ごしてしまう。書物の頁に収められるはずの文字が、杉戸を覆い、空間の一部となっている。その無数の韻字は、漢詩が書物の内にとどまらず、人々の集う場や日々の思考の内に深く根を下ろしていたことの証であった。

思えば、私が初めて漢詩に触れたのは、中学校の国語の教科書であった。句を諳んじ、その意を学んだが、それを文学として読んだ記憶はない。私にとって漢詩は、教室の風景の一部であった。けれども、その響きはもとから詩に備わっていたものではない。返り点を施し、送り仮名を補い、日本語の語順へと組み替える。訓読とは、異なる言葉を自らの言葉の中へ迎え入れるための工夫だったのではないか。平仄や韻までは伝わらない。それでも、その道があったからこそ、千年以上も前の詩句が、今なお日本の教室で声にされる。

そこにあるのは、模倣とも拒絶とも異なる姿勢である。中国の古典を日本語で読み、自らの思想や文章を形づくる糧とする。好文亭の韻字も、その長い営みの末に、書物から広間へと姿を移したもののように思える。

同じことは、書物の世界に限らない。中国から渡った茶は、日本の風土と美意識の中で、日本茶や茶道へと姿を変えた。料理もまた、日本の味覚や暮らしに合わせて姿を変え、独自の食文化を育んできた。あまりに身近であるため、私たちはその向こうに中国があることを忘れがちである。しかし、起源を辿れば、日常の奥から、中国との長い交わりが浮かび上がってくる。

私が中島敦の作品に惹かれるのも、同じ理由からかもしれない。彼の文章を読むとき、中国という遙かな国が、何故か自分の内面と響き合う不思議な感覚がある。『山月記』や『李陵』、『弟子』や『名人伝』、悟浄を巡る作品。その多くは中国の古典や説話に材を取りながら、人間の自尊心や孤独、信念、迷いを描いている。それらが遠い時代と国の物語でありながら、私には決して異質なものと思えないのは、そこに描かれる心の在り様が、人間に普遍的なものだからというだけではないように思う。長く中国の思想や文学を受け入れてきた日本人の精神の内に、彼らと響き合う何かが、既に息づいているのではないだろうか。

中国から伝わり、受け継がれてきたのは、言葉や習慣、文学といった文化の形だけではない。その背後にある、ものの見方や感じ方までもが、日本の内に取り込まれてきたのではないか。それは長い交わりの中で日本のものと分かち難く重なり、いわば一種のアジア的悟性として、私たちの内に残っているのかもしれない。私自身もまた、その長い積み重なりの中で、中国に親しんできたのである。

しかし、日本の内に受け継がれた中国を知ることは、中国そのものを知ったことにはならない。訓読の向こうには中国語の響きがあり、日本茶の向こうには中国の茶文化があり、日本の味覚に馴染んだ料理の向こうには、各地の味と歴史がある。由来を辿るほど、その奥に、なお知らない中国の広がりが見えてくる。中国を知るとは、遠い国について新しい知識を得ることだけではない。日常に刻まれた来歴を辿り、それまで当たり前に見えていた景色を、もう一度読み直すことでもある。

中国は、初めから私の身の回りの風景の中に在った。ただ、それが何であるかを、私はまだ知らなかったのである。

人民中国インターネット版 2026年9月30日  

 

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