良識と責任感を持った日本の政治家を追憶する―趙啓正氏の目に映った野中広務氏

2020-02-21 12:25:27
 02年5月、数名の「脱北者」が突然、在瀋陽日本国総領事館に駆け込んだ。警備していた中国の武装警察は全てを阻止することはできなかったが、最終的に総領事館側の要求に応じて侵入者を取り押さえた。この突発事件が起きた際、趙氏はちょうど日本を訪問していた。日本の各テレビ局の定時のニュースはいずれも、日本の大手通信社が事前に領事館近くで隠し撮りした映像を使い、トップニュースとして放送を繰り返した。日本の世論はすぐに騒ぎ、中国側の「謝罪」を要求した。日本の政治家の中には、中国の武装警察が「脱北者」を日本総領事館から連行する行為そのものが日本領土への侵入であり、以前であれば戦争を起こすに等しいと考える者もいた。
 このような状況の下、趙氏が出席した中日インターネットメディアフォーラムは日本の記者がこの件を問い詰める「記者会見」のようになった。この件について、趙氏は次のように述べた。中国の武装警察は自分の職責に忠誠を尽くし、日本総領事館の安全を断固として守り、外部の乱入者を阻止したので、彼らに尊敬の意を表すべきだ。もし日本政府がそう思わないなら、中国外交部に正式に外交文書を提出し、今後、中国の武装警察は二度と乱入者を阻止しなくてもいいと明記してほしい。だだし、日本側は十分な部屋を用意し、次々とやって来る乱入者を「接待」することを覚悟したほうがいい。
 日本のマスコミが偏った報道をする状況で、野中氏は再び優秀な政治家ならではの責任感と良識を表した。彼はわざわざ趙氏と面会し、この件に対する理解を明確に表し、この件における中国の武装警察のやり方には問題がなく、非難されるべきではないと指摘した。

 島の問題について、野中氏は、日中国交正常化当時、田中角栄首相は確かに中国側の指導者と同問題を棚上げにすることで合意したと何度も趙氏に語った。日本側のさまざまな非難に対し、彼は、日本は日中関係の大局を重視し、この問題で中国にしつこく絡むべきではないと何度もはっきりと述べた。この問題についてあれこれ口をはさむ日本の一部の政治家は、実はこれを利用して大衆の歓心を買い、個人の政治的資本を狙っているだけのため、非難を受けるべきだと考えていた。
 12年に中央テレビ局の取材を受けたとき、野中氏は再び立派な政治家としての誠実さと勇気を表し、「こんな不幸な事件が起きたのは、全く日本の人間として恥ずかしい。中国の皆さんに大変申し訳ない」とインタビューに応じた。
 自民党の長老として、野中氏はこの数年来、自民党の政治のすう勢と指導者の主張を憂慮していた。自民党指導者の施政演説に関して、「私が中学生のころ、昭和16年に東条英機首相の大政翼賛会の国会演説のラジオ放送を耳にしたときの感じと変わらない」と述べた。
 13年6月、野中氏は再び旧友に会うため中国を訪問した。彼は「私はすでに88歳になりました。今回が最後の訪中です。こんなに多くの中国の皆さんが日中関係の改善に尽力しているところを目にして、安心しました」と語った。日本と中国の友好協力の発展が両国関係の進むべき唯一の道であると野中氏は固く信じていた。

 2014年3月日本の東京砂防会館で、趙啓正氏は野中広務氏に中国の伝統切り紙細工を送った

 趙氏は野中氏の逝去を悲しく思い、落ち込んだ。野中氏との思い出の中で、彼が一番忘れられないのは、この心優しい政治家の友人に対する深い情だ。
 趙氏が日本を訪問したときのこと。野中氏はそれを聞き、わざわざ京都から東京まで足を運び、深い路地にある古い隠れ家での昼食会をアレンジした。双方の話はとても盛り上がった。別れるときに、野中氏は同席した日本側の友人と、深い路地からずっと大通りまで中国からの客人を見送り、車が消え去るまでしきりに手を振っていた。
 野中氏が亡くなったと知った瞬間、趙氏は路地の角に立ち、名残を惜しんで手を振って見送る彼の姿を思い出した。今回、日中友好のために数十年間奔走したこの友人は本当に皆に別れを告げた。彼はきっと、日中の友好協力と東アジアの持続的平和を引き続き前進させることを皆に託したいはずだろう。

 

人民中国インターネット版2018年1月29日 

 

 

 

 

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