奇跡の発展を遂げる合肥市 新興産業と科学技術の進化

2020-02-21 12:23:17

 王漢平=文


合肥市の古い市街地にある逍遥津公園は三国時代の戦場として知られている。1980年、合肥は日本の久留米市と友好都市関係を結び、久留米市の訪中団が贈呈したツツジ、山椿などが園内に植えられている(写真・張大崗)


 安徽省といえば、真っ先に思い浮かべるのは世界遺産の黄山や「文房四宝」として名高い筆墨紙硯。さらに、新安商人や安徽料理、同省独特の徽州建築などが代表する安徽省の文化は地域の特徴が鮮明で輝かしい。同省は中国で最初に農村改革が展開されたところでもあり、農業生産責任制はまずここから始まった。現在の安徽省は、イノベーションのブームが起こり、輝かしい姿で世間から注目を集めている。 

 今年6月、中国社会科学院が発表した「中国都市競争力報告」の中で、安徽省の合肥市は「この40年間で最も成功した中国40都市」のランキングに名を連ねた。1978年の改革開放の実施以来、中国の都市化は急速に進み、各地で大きな変化が起こった。では、合肥は一体なぜ上海や深圳と肩を並べ、全国280もの都市の中から頭角を現し、最も成功した都市になったのだろうか。まずは合肥市発展の物語を見てみよう。 

小さな町から全国トップクラスの省都へ

  合肥は長江と淮河の間に位置する。水に恵まれて誕生し、地名は川の名前に由来し、中国の5大淡水湖の一つである巣湖を抱える省都だ。 

 合肥の歴史は、紀元前3世紀に秦が合肥県を置いたときにまでさかのぼり、すでに2000年余りの歴史を誇る。しかし、省都として定められたのは1952年になってからのため、中国で最も若い省都の一つである。当時の合肥市は面積5平方㌔余り、人口は5万人に満たなかったが、78年に市域面積は10倍に拡大し、人口は70万人にふくれあがった。 

 合肥は農村改革が最初に展開されたところの一つだったが、改革開放初期において、合肥の発展速度と成果は全国的に目立ったものではなかった。非資源都市で、地理的には同省の中間部に位置しているものの、交通は想像できないほど遅れていた。当時笑うに笑えなかったのは、安徽省の人々は買い物をするにも出稼ぎに行くにも、みな江蘇省南京市などの都市へ行く傾向にあり、現地の人々は自嘲して、合肥は存在感が無いと言ったものだった。


 1978年4月、合肥市で安徽省_北京間の列車が開通したおかげで、北京行き列車が無いという歴史は幕を閉じた。しかし、2007年まで長らく、合肥市民が遠出をする場合は、同省の蚌埠市まで行って汽車に乗らなければならなかった。京滬(北京_上海)線上に位置する蚌埠市こそ、鉄道交通の最も便利な場所であった。08年という年は、合肥市民の記憶に鮮明に刻まれている。この年、合寧(合肥_南京)都市間鉄道が開通したことによって、合肥市民は高速鉄道の便利さを身をもって体感することができた。これを発端として、合肥は高速鉄道時代の発展のチャンスを迎え、毎年高速鉄道の新しい路線を開通させている。10年間の努力によって、合肥は米字型の放射線状に高速鉄道ネットワークを形成し、全国19のターミナル駅の1拠点となり、14省都間の直通を実現した。今年4月10日、高速鉄道・復興号G24便が合肥南駅から北へ向かって走り出した。これにより、以前は合肥と北京間の移動は20時間もかかっていたが、4時間もかからずに着けるようになった。 


中国東部の四大高速鉄道ターミナル駅の一つ合肥南駅


 合肥は上海市や江蘇省、浙江省に近接しているが、かつてこれらの都市へ行くのは簡単なことではなかった。しかし今では、高速鉄道で南京まで50分ほどで行けるようになり、毎日70本以上の高速鉄道が南京や上海、杭州などとの間を行き来している。これにより、合肥と先進的な長江デルタ経済圏都市は緊密に結び付けられるようになった。合肥市民はそれらの地域に行って買い物をしたり、仕事をしたり、簡単に日帰りで往復できるようになった。  一方、合肥市の町づくりは急速に進んだ。特に06年から、市街地面積はすさまじい速さで拡大し、都市の様子は瞬く間に大きな変化を遂げ、環状線高速道路や合肥南駅、新橋国際空港、合肥港国際コンテナターミナル、地下鉄1・2号線は急速に整備されている。17年末になると、市街地面積は11倍に拡大し、常住人口は400万人余りに増え、合肥市が管轄する5県市を加えると、常住人口が800万人近くにのぼった。近年、安徽省外に出て行った人たちが再びUターンで地元に戻り続けており、省外の人々の中にも同省に来てビジネスチャンスを探す人が少なくない。合肥は人口流入都市になり、その活気と魅力の表れともいえるだろう。  立体的な交通システムの急速な構築によって、地理的優位性が経済成長の優位性に転じ、これも合肥の経済が飛躍的な発展を実現した重要な要因だった。06年以前、中国26の省都の中で合肥の経済規模は18位以下をさまよっていた。06年はわずか1000億元だったが、昨年は7200億元余りに達し、7倍に増加した。ランキングでは、9省都を追い抜き、上位10省都入りを果たした。


天鵞湖のほとりにある合肥政務文化新区 


 改革開放の最初の30年間、合肥市は全く無名の地だった。この10年間の爆発的な発展は、合肥が常に初心を忘れず、努力を着々と積み重ねてようやく実現したものだった。当初の三、四線都市から現在の新一線都市に至るまで、合肥市と南京市、杭州市は共に長江デルタ経済圏の副中心になり、画期的な変化を遂げた。 

家電の町から新興産業の集積地に 

 中国の中部に位置する安徽省は、昔から重要な農産物の産地だったが、工業とサービス業はなかなか発展しなかった。2004年から国の「中部台頭計画」が実施されると、全国の経済構造の調整によって、東部沿海地域から中部地域への産業移転の受け皿として、地理的優位性が現れ始めた。東部と西部をつなぐ地理的条件や比較的低い原価、優れた教育資源、十分な労働力を見込んで、国内外の多くの企業はここで投資・起業し、家電製品、設備製造、自動車・部品をはじめとする主幹産業が急速に発展した。

 
日立建機の油圧ショベルの組み立てライン(写真・王浩/人民中国)


 合肥の家電産業といえば、ハイアール、グリー、三洋など国内外で有名な16のブランドと500以上の関連企業があり、テレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコンといった4種類の家電の生産量は何年も連続で中国1位を誇り、中国で生産された冷蔵庫の3分の1、洗濯機の4分の1は合肥で作られたもので、合肥はすでに中国最大の家電製造拠点になっている。 

 合肥経済技術開発区で、日立建機(中国)有限公司を取材した。日立建機は1995年、ここに工場を建設した。中国市場の油圧ショベルに対する需要の増大に伴い、当初は小規模だったものの急成長を遂げ、近年の生産・販売量は年間1万台を超え、建設機械業界のトップになっている。梶田勇輔社長によると、97年に出張で合肥に来た際、当時の合肥開発区はまだ未発達の状況だった。その後、出張で何度も合肥を訪れるにつれ、毎回イメージが変わっていった。合肥の発展スピード、技術進歩とIT技術の生活への浸透度に驚きを感じ、ITの進化に合わせて技術を研究開発し、新しい製品に応用するように取り組んでいきたいという。

 
日立建機(中国)有限公司の梶田勇輔社長(写真・王浩/人民中国)


 この開発区にあるもう1社の日系企業、アーレスティ自動車部品有限公司で、生産の好調ぶりを見た。軽量化した環境にやさしいエンジンとアルミダイカストの変速機は中国市場で人気を呼び、生産開始からわずか7年間で、すでにスケールメリットが生まれている。  現在、25年前に設立されたこの合肥市最大の開発区に入居した日系企業は、同開発区の外資企業のうち約3分の1を占めている。  ただ東部の産業移転を引き受けるだけでは、合肥の製造業は持続的には発展できない。そこで、合肥は「無から有を生む」「小から大にする」精神で新興産業を育成し、次世代ディスプレイ、ロボット、音声認識AI、太陽光発電など中国や世界で影響力を持つ多数の産業集積拠点を形成した。 


新駅新技術産業開発区にある京東方(BOE)公司 

 2017年、京東方科技集団(BOE)の世界初となる最高世代の第10・5世代液晶パネルの生産ラインが合肥で稼動し、業界の先頭を走ることとなった。液晶パネルはテレビ、コンピューター、スマートフォン、各種のディスプレーに幅広く使用されており、これまでに稼動した数本の生産ラインと合わせて、同集団のディスプレー出荷量は世界一になっている。

 
取材を受けるBOEの張羽副総裁。背後に展示されているのは同社の110インチの8K高精細液晶パネル(写真・王浩/人民中国)


 09年以前、合肥のフラットパネルディスプレー産業の生産高はゼロだった。しかし、BOEが合肥に最初の生産ラインを設置したのに続き、米国のコーニング社、日本の住友化学など産業の上・下流にある多数の企業がここに集まり、完全な産業チェーンが出来上がった。現在、この「無から有を生んだ」産業の生産高はすでに1000億元規模に達している。フラットパネルディスプレーを基幹とする電子・情報産業は伝統的な家電製品に取って代わり、工業成長率に対する貢献度が最も高く、新興産業全般の発展をけん引している。 

 合肥の製造業は鮮明な特色を持ち、モデルチェンジを素早く実現し、中国の重要な先進製造業の拠点になっている。5月に世界製造業大会が合肥で開催され、「メイドイン合肥」はますます知られるようになった。 教育の町からスマートシティーへ  17年の中国10大科学技術ニュースのうち、合肥と関わりのあるものは三つあった。中国科学技術大学の潘建偉教授が率いるチームの、量子コンピューターと量子通信がその一つで、特に量子通信技術とその産業化は世界の先頭を走っている。 

 BOEのような業界トップの企業が集まって構築する戦略的新興産業は合肥の経済成長を促す新たなエンジンとなりつつあるが、これも現地の豊富な科学技術イノベーションの資源と密接に関わっている。BOEの副総裁で、合肥地域総経理の張羽氏が取材に対し次のように紹介した。同社は中国科学技術大学などの大学と共同で、技術的難題のクリアとプロジェクトの開発を行っており、研究・開発の投入額は業界平均水準の4倍に達し、昨年だけでも8000以上の特許を申請し、そのほとんどが発明特許だった。 

 中国科学技術大学は先端科学とハイテクの教育・研究をメインとし、中国でも有数の名門校だ。現在、合肥には56の大学があり、研究者が70万人以上おり、中国の四大教育拠点の一つに数えられている。17年1月、合肥総合的国家科学センターが承認を受けて設立され、合肥は上海に次ぐ中国2番目の総合的国家級科学中心地になった。 

 豊かな人材資源を頼りに、合肥は大学や研究院との協力モデルの模索に乗り出し、相次いで中国科学技術大学先端技術研究院、合肥工業大学スマート製造研究院など十数カ所のハイテク研究プラットフォームを構築した。産業・科学・研究・実用の協同効果は科学技術の成果の速やかなビジネス化につながった。昨年は、休日を除いて、平均で1日に1社の国家級ハイテク企業が誕生していた。 


アプリ「訊飛聴見」では、リアルタイムの音声入力と日本語翻訳ができる(写真・王漢平/人民中国)


 科大訊飛(アイフライテック)社は、国際的な音声認識市場で、グーグルなどの大手業者と肩を並べるスマート音声・人工知能専門の会社だ。1999年に中国科学技術大学博士課程在籍中の劉慶峰さんによって創設された。同社の人工知能体験コーナーで、筆者はさまざまなシチュエーションにおけるロボットの活躍を体験した。これらのロボットは聞き取り、話し、考えることができ、すでに銀行、病院、サービス業などで活用されている。「訊飛聴見」は同時通訳システムで、大型会議の際に、現場の発言をリアルタイムで文字化できる。また「訊飛翻訳機」は、日本語を含む33カ国語と中国語間の双方向翻訳に対応し、写真からでも文字を読み取り自動翻訳する機能もある。海外旅行の際、街頭の看板やレストランのメニュー、商品ラベルの写真を撮れば、すぐに翻訳され、外国語が分からなくても心配はない。スマホアプリの分野でいえば、「訊飛入力法」という中国語入力アプリの利用者数は累計で6億人を超えている。スマホに向かってしゃべると、スクリーンにリアルタイムで文字が表示され、正確率は98%以上を誇り、四川方言、広東方言など24種類の中国の方言認識にも対応している。 

 中国最大のスマート音声技術業者のアイフライテックを中心に、合肥は合肥ハイテク区スマート音声産業集積発展基地(中国ボイスバレー)を設立し、スマート音声産業拠点を構築した。今年8月31日の時点で、アイフライテックの「訊飛開放」というプラットフォームは、80万以上の開発者に向けて技術的サポートを提供している。 

 最近、合肥は日本の川崎市、英国のケンブリッジ市と共に国際標準化機構(ISO)によって世界十大スマートコミュニティー試験都市に選ばれた。昨年12月、合肥では切符を売る係員が同乗する路線バスは廃止され、「インターネット+交通」のスタイルが全面的に展開され、スマホでQRコードを読み取るだけで乗車できるようになった。ビッグデータ、クラウドコンピューティングなどの先端情報技術を生かして、都市のスマート管理・運営を実現し、合肥での仕事・生活環境はますます良くなるだろう。


中国の五大淡水湖の一つで面積が770平方㌔にも及ぶ巣湖


 美しい湖に臨み豊かな水に囲まれた合肥は、科学技術のイノベーションによって発展の奇跡を作り出している。合肥はすでに180以上の国・地域と経済貿易関係を結んでいる。建設中の江淮運河が淮河、巣湖、長江をつなぎ、さらに長江を通じて国際水路につながると、長江デルタ都市群と中・西部地域の発展における合肥の役割はいっそう重要になっていくはずだ。中国の基礎科学の発展を促すけん引役となる、国家科学センターの完成後、合肥はますます国際的影響力を持つ「イノベーションの町」になるだろう。 (写真提供・合肥市政府新聞弁公室)

 

人民中国インターネット版

関連文章