『習近平 国政運営を語る』を読み解く(上)

2020-02-21 12:20:21

「中国の特色ある社会主義」の世界史的意味

木村知義=文

日中関係の好転を背景に安倍晋三首相が習近平国家主席の国賓訪日を招請し、今年春の訪日に向けて調整が進められている。そこで、『習近平 国政運営を語る』(第1、2巻)を基に、習主席は何を考え、その下で中国はどこへ向かおうとしているのか、少しばかりの探究と思索を重ねてみようと思う。


『国政運営を語る』を読む意味

まず、今なぜ習氏の『国政運営を語る』をひもとくのかである。

昨年11月のある朝、スリランカの大統領選挙でラジャパクサ氏が当選したことを伝える記事を読んでいて思わず活字を追う目が止まった。「スリランカは『一帯一路』の要衝にある」とキャプションを付けた図を添えて伝えるその記事には、「親中派の前大統領の弟」のラジャパクサ氏が大統領に就任すれば「親中路線に回帰するとの懸念がかねて持たれていた」とあった。ラジャパクサ氏は「近隣諸国との関係強化を訴えてきたが、中国の影響力が再び強まる可能性があり、同氏のかじ取りを隣国のインドや日本など国際社会は注視している」というのだ。

「親中派」「近隣諸国との関係強化」「懸念」という言葉がどうしてこのような文脈で結ばれるのだろうか。「親中派」の大統領が誕生するという事実に、誰が懸念しているのかも明らかではない主語不明の「懸念」を、しかも「懸念がかねて持たれていた」と、さらに曖昧にした「受け身」の話法で紛れ込ませるのは、ジャーナリストとしては姑息と言うべきだろう。しかし、日本における、中国に関わる言説には、こうした例は枚挙にいとまがない。メディアに登場する「識者」は決まったように「強大化する中国」と語る。

今、中国について考えるとき、私たちはこのような言説を浴び続けているということに、まず向き合わなければならない。だからこそ、今まさに中国をけん引する指導者である習氏の言説そのものに耳を傾けてみなければ中国は分からず、中国がどこに行くのかも見えてこないのである。

 

中国の特色ある社会主義とは

 『国政運営を語る』は「中国の特色ある社会主義の堅持と発展」に始まる。そして第2巻第1章は一歩進めて「中国の特色ある社会主義を堅持し、発展させ、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現する」となる。すなわち、「中国の特色ある社会主義」をどう理解するのかが、外交であれ内政であれ、現在の中国を認識する全ての土台だというわけだ。

 「中国の特色ある社会主義」を「あいまいな資本主義」あるいは「強権的な国家資本主義」と語る中国経済の専門家もいる。しかし「中国の特色ある社会主義は実践、理論、制度が密接に結び付いたものであり、成功した実践を理論化する一方、正しい理論で新たな実践を指導し、さらに実践の中で効果のある方針と政策を速やかに党と国家の制度とする」「この道は、あくまで経済建設を中心とする一方で、経済建設・政治建設・文化建設・社会建設・エコ文明建設およびその他各方面の建設も全面的に推し進めていくものである」と習氏は語る(第1巻9㌻)。つまり、日々の実践すなわち経験の中で発展的に進化する、優れて動的なものだということである。さらに、「現在の一年は過去の古い時代の何十年、何百年、ひいてはもっと長い時間に相当する。新しい思想や観点でマルクス主義を継承、発展させないのは、本当のマルクス主義者ではない」という鄧小平氏の改革開放への号令を引きながら、「勇気をもって古きを取り除き新しきを打ち立て、大胆に突き進み、大胆に試み、後へは引けないという態度で改革開放を絶えず推進していかなければならない」と呼び掛け、「戦略的思考」の重要性を説いている(第2巻8~9㌻)。この戦略的思考と時間概念を理解できるかどうか、そこが中国を読み解けるかどうかの分水嶺になる。従って、旧来の経済理論で外周から説明しようとしても現実の動態を読み解けない。中国の動く現実に分け入って内在的に見つめ、そこから事実に基づいて解析する、まさに「実事求是」でなければその姿を捉えられないのが中国なのである。

 

昨年102831日に開かれた中国共産党第19期四中全会では、中国の特色ある社会主義制度の堅持・整備と、国家統治システムと統治能力の現代化の推進における総体的な目標が提起された

 

欧米社会の「苦悩」

 とりわけ今重要なのは、改革開放を後押しすれば自分たちが描く欧米型の社会に「変わるだろう」と思っていたものがそうはならなかった、つまり中国独自の発展の道を開いて、いつの間にか欧米諸国と並び、追い抜く経済大国となった中国への「失望」と焦燥感が、一転して中国への敵対、対決に向かうという局面を迎えていることだ。

 18年秋の米国のペンス副大統領の中国を批判した演説や昨年秋のペンス演説第2弾、さらに米ニューヨークのハドソン研究所でのポンペオ国務長官の演説などもその文脈で読めば意図するところがよく分かる。米中対立や「中国脅威論」「中国異質論」の背後にこうした欧米社会の複雑な「挫折感」が横たわっていることを見逃してはならない。それをもって「普遍的価値」への挑戦とする論調が米国や日本のメディア、論壇を席巻していることは不幸としか言えない。

 米ソ首脳が1989年末にマルタで冷戦終結を宣言して30年。ベルリンの壁崩壊、ソ連解体によって社会主義の敗北とされた。しかし、その後、対立と分断、混沌が世界を覆う。そして今、勝利に沸いたはずの資本主義の「行き詰まり」が語られる。既存のガバナンスやシステムの行き詰まりから、「冷戦後」のそのまた後に来る新たな社会の姿を求めて苦悩する世界である。中国が習近平指導部の下で「中国の特色ある社会主義」を追求する世界史的意味がそこに見えてくる。

 それゆえに、半封建・半植民地という呻吟と屈辱の中で中国の民衆が抗日戦争、国共内戦という苦しい戦いを経て70年前に勝ち取った「新中国」をどのようなことがあっても揺るがせてはならないという習近平指導部の戦略的思考が、外交、内政の全てを決定付ける意味がくっきりとしてくるのである。

 

重心はアジア・ユーラシアへ

 そして、改革開放から40年。先に開かれた中国共産党第19期中央委員会第4回全体会議(四中全会)のコミュニケでは、「グローバルガバナンスに積極的に参画」することをうたっている。昨今、中国は鄧小平時代の「韜光養晦」という控えめな態度を捨てたと批判する識者も多くいるが、鄧小平時代からステージは一段上がり新たな時代に踏み込んだと読み解くべきではないか。同時に「四中全会」で行われた習氏の「国家統治体系現代化に関する決定説明」と合わせて目を凝らしてみると、新中国成立100年、すなわち2049年を見据えて、国家の統治システムの現代化とともに、人民民主主義を発展させること、さらには「解放思想、実事求是」が説かれていることは注目しておくべきことだと感じる。

 20世紀は欧米を先進として生きた時代だった。しかし、多元・多極化する21世紀世界は、中国の存在によって、世界の重心はアジア・ユーラシアへと変わっていることを知らされる。私たちが未来に向けてどう生きるべきか、価値観、歴史意識など全てにわたって「新しくすること」を迫られる時代となっている。新時代の、等身大の中国を理解、認識するために、習近平氏の『国政運営を語る』をもう少し読み進めたいと思う。(つづく

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