中国進出し世界へ事業展開

2020-02-28 11:49:40

文=呉文欽

 

 

森松工業の江蘇省南通工場からマレーシアのベトロプラス社に出荷される冷却タワー。3000トンクラスの危機を海外へ輸出できる(写真提供森松工業株式会社)

「日本に戻ってそろそろ20年になりますが、今でも毎月中国に出張しています」。西村今日子さん(58)が差し出した名刺には、「森松工業株式会社 取締役 グループ営業企画部部長」と書かれている。

岐阜県に本社を構える森松工業株式会社(以下、森松工業)は、1947年10月の創業当初、わずか50平方の工場で主に各種タンクを生産していた。

 

「2018年に中国子会社の売上高が本社の3倍近い536億円になりました。今では欧米諸国にまで事業を展開しています」と、西村さんは意気揚々と語る。 

この地方の中小企業が、売上高700億円を超える国際企業になれた理由は何か。西村さんは、33年前に同社2代目社長の松久信夫氏の決定が大きいと考える。

 

30年以上前の決断

中国の改革開放が10年目に差し掛かった1987年、各国企業は大きな市場潜在力(7)を持つ中国に注目しており、それはまだ海外進出していなかった森松工業も例外ではなかった。 当時の松久信夫社長は、改革開放下の中国は必ず大きく発展すると鋭敏に察知した。「前もって手を打たないと、絶好のチャンスを逃す」と考えた松久氏の主導で、同社は中日貿易事業を専門的に行う子会社を立ち上げた。主な業務は中国から金属加工品を輸入することだった。

 

母校名古屋大学で取材を受ける西村今日子さん(写真于文/人民中国)

 「まずは貿易から始め、中国と付き合う経験を積んでいきました。これが、松久社長の対中業務展開の第一歩でした」。87年に入社した西村さんは、松久氏が描いた発展ビジョンを今でも鮮明に覚えている。

中国で実現したグローバル化  1990年代前後、日本はバブル経済の絶頂期にあり、若者たちがいわゆる「3K(きつい、汚い、危険)産業(8)」を拒むようになり、日本の製造業は人件費コスト高騰の苦境に陥った。そこで森松工業は、中国の改革開放の最前線だった上海の浦東新区に生産拠点をつくることを決めた。

9010月、上海森松圧力容器有限公司が設立された。広東省広州市の中山大学に1年間留学したことがある西村さんは上海子会社の立ち上げを任され、10年間勤務した。  

「最初は中国の豊富で安価な労働力にだけ注目していましたが、求人募集する中で中国は人材の宝庫だということに気付かされました」と西村さんは振り返る。

 

森松工業の主力製品

森松工業は中国で主に、各種ステンレス製圧力容器(反応槽、蒸留塔、熱交換器など)や攪拌機といった機器の製造とそれらを一つのシステムとしたプラントをモジュール化して建造している。付加価値の高い設備製品は非常に高度な溶接技術を要するが、中国の溶接技術者は確かな腕を持ち、難題にも果敢にチャレンジし、企業の経営管理の面でも大きな潜在能力を発揮した。

「彼ら中国人スタッフと組めば、必ず事業を成し遂げられると確信しました」。西村さんは、上海子会社設立初年度に入社した中国人社員のことを、今も忘れていない。 

森松工業の上層部は、中国人社員の能力を十分に発揮させるため、上海支社設立後直ちに中国での「現地化」路線に踏み切った。グループ全体の社員数は昨年末までで約3600人に達したが、その大部分は幹部を含めて中国人だ。 同社にとって、中国での思いがけないもう一つの収穫は、欧米のグローバル企業との「出会い」だった。  

中国が市場経済改革を進めるにつれ、P&Gやユニリーバなどの大手国際企業は1990年代後半から相次いで中国で工場を建てた。 

日本のメーカーはかつて、製品の販売を商社に一任していたが、この方法ではリスクを回避できる一方、収益の低下を招いた。森松工業は中国で実現した「現地化」を強みに、欧米のグローバル企業と直接多くの契約を結び、中国や世界の工場に重要な設備を収めることに成功した。昨年末までに、同社は中国での事業展開によって、日本企業を含む180社余りの有名企業と確固たる協力関係を結んでいる。興味深いことに、東芝や花王など日本の大企業との取引も、同社が中国に進出してからだ。 

これについて西村さんは感慨深げにこう話す。「日本国内にこだわっていれば、今の発展はなかったかもしれません。中国のおかげで、私たちはグローバル化を実現できました」

 

感染症対策で先手打つ

現在、森松工業は日本と中国のほか、米国やスウェーデン、インド、韓国に営業拠点を設けたが、海外生産拠点を置いたのは中国だけだ。江蘇省南通市にある生産拠点だけでも、敷地面積が66万8000平方に及び、製品は石油ガス、石油精製、化学工業、原子力発電、冶金などの多分野にわたっている。    

2012年に「島購入」問題が起きてからの数年間、同社の売上高は一時的に低下した。しかし、両国関係が再び正常な軌道に戻るにつれ、同社の実績は大幅に好転し、特に18年は創業以来最高の売上高を記録した。

当面の中米貿易摩擦の影響について、西村さんは冷静に分析する。「米国の追加関税発動は確かに影響が出ます。しかし中国は現在、すでにサプライチェーンが完備されており、製造業において非常に強い競争力を持っています。私から見て、中国で製造できないものはごくわずかです。苦労して生産ラインを中国から移転するより、中国での生産コスト削減に力を集中するほうが良いと思います」

 

森松工業のグローバルネットワーク

今回突然発生した新型コロナウイルス感染症は、多くの企業の事業活動に重大な影響を及ぼした。だが森松工業の、中国子会社(上海森松)の今年の生産量と業績予想の見通しは明るい。

習近平国家主席が120日に新型コロナウイルス感染症の予防抑制に対して重要な指示を出して以降、上海森松は社内のリスクアセスメント委員会が直ちに関連する手配を打ち出した。多くの企業と異なり、70%の従業員に春節休暇期間中の出勤を割り当て、通常営業した。

これに対し、上海森松の関係者はこう説明する。今回の措置の目的は、従業員が春節中の移動でウイルスに感染することを防ぐことにあり、従業員の安全を保障できるのなら1週間分の残業代を払うのも惜しくはない。今回の措置のおかげで、上海森松は現在多くの企業が直面している従業員の職場復帰問題を回避し、従業員の感染者ゼロという喜ばしい状態を確保した。

それとともに、中国、日本、欧州、米国などから5万枚以上のマスクをかき集め、デトール消毒液を生産している協力パートナーから十分な量の消毒液を購入し、日常使用する分を従業員に支給した。

今回の新型コロナウイルス感染症で中国経済が受ける衝撃は、2003年のSARSを上回ると森松工業は見ている。感染拡大が同社の来年の発注に与える影響は少なくないが、今年の生産量と業績への影響は大きくない。

現在、森松工業が武漢市に設立したデザインセンターに属する100人以上の従業員が在宅勤務している。森松工業は感染症の動向に注視しており、相応の対応措置を取っている。上海森松の関係者は、「中国に加護がありますように」という言葉で今回のインタビューを締めくくった。

 

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