世界の画一化から多様性を活かしあうグローバル共同体へ

2023-03-23 13:42:00

文=明治学院大学国際平和研究所研究員、上海交通大学人文学院副研究員・石田隆至

「人類運命共同体」が提唱されて10年を迎えた。日本を含む西側諸国では、中国の大国主義や覇権主義的野心の表れとして、たえず攻撃的な懐疑を示してきた。しかし、先日世界を駆け巡った金融不安のニュースは、その初発の共同体理念の重要性を再確認させてくれた。

 アメリカやスイスの大手金融機関の経営破綻・不安が世界的な懸念材料となったのは、いうまでもなく2008年のリーマン・ショックとそこから始まった世界的な金融危機の悪夢を想起させたからである。

 リーマン・ショック後の世界同時不況の克服策として、米国やEUは超低金利策や流通通貨の量的拡大、積極財政策等によって国内金融機関の連鎖破綻を抑え込んだ。これは、財政赤字に耐えられる基礎体力を有した国にしかできない。実体経済においても、先進諸国は一国主義や保護貿易主義を採用し、ダメージを和らげることができた。他方で、元来脆弱な経済構造にある途上国や、英米型の新自由主義政策を積極導入していた新興国の多くは株価の暴落に始まり、経済のマイナス成長、失業率の上昇を経験し、長期的な経済停滞に陥った。日本も、同じような困難に陥った。

 この構図は、1929年の世界大恐慌後の状況と同型的である。英仏は広大な植民地を囲い込むブロック経済で自国経済を保護する一方、植民地を(わずかしか)持たないドイツや日本等は帝国主義的侵略戦争によって打開しようとし、第二次大戦に繋がった。リーマン・ショックの残響下で、保護主義でも帝国主義でもない第三の克服策として中国が提唱したのが「人類運命共同体」である。自己中心的な閉鎖経済でもなく、他者を犠牲にした発展でもない。困難にある諸国が相互に助け合い、持続的な発展を目指す共同体を構築することで、危機を克服しようとした。

 中国は基本理念として、「ゼロサムではなく互恵、ウイン・ウイン」「閉鎖ではなく開放」「対立ではなく協力」を掲げた。互恵や協力という理念は従来の優勝劣敗グローバリズムとは趣を異にするが、開放を唱える点は共通している。グローバル化は米英型の新自由主義の別名でもあるが、リーマン・ショック後は自らそれに反する保護主義、自国中心主義に走った。他方で、先進国主導のグローバル経済下でどちらかといえば不利な状況に置かれていた中国が、開放を掲げるという逆説的状況が生まれている。同じグローバル化という言葉を使っていても、その内実が違ってきていると捉える必要がある。

 1990年代に情報技術や輸送手段の進歩に伴って進展したグローバル化は、〝世界の画一化〟という意味合いが強かった。世界中の多くの人々が似たようなライフスタイルを求めれば求めるほど、グローバル企業の利益は大きくなる。マクドナルドを食し、ナイキの靴を履き、ZARAのファストファッションを身に付け、ベンツやフォードを運転し、ハリウッド映画を楽しむ――そういう人々が中国でも珍しくなくなった。市場の開放性を重視するなら、欧米圏発のグローバル企業の優位は当面続く。中国製品が世界を席巻することも、中国式のライフスタイルが広まることもすぐには想定できない。それでも世界市場の開放性を志向するのは、リーマン・ショック後も再現したように、経済の世界的循環が滞れば生き延びるのはわずかな先進国だけで、大部分の国は停滞に陥る、それが冷徹な現実だからである。こうした世界史的経験を踏まえ、現実に世界のグローバル化が進んでいる今、市場を開放し、世界規模で経済を循環し続けることが、地球全体の利益、人類の運命にとって不可欠だと考えたのである。

〝経済の世界的循環〟という意味でのグローバル化を志向していると考えれば、見えてくることも多い。中国は14億人の国内市場を有しており、一国保護主義に走っても維持できる規模といえる。それでも、人類運命共同体実現の具体策として「一帯一路」を推進してきたのは、地球規模での経済循環と中国国内の経済循環はもはや切り離せないほど密接な関係になっているという事実からである。経済が世界規模で循環する限り、欧米発のグローバル企業が優勢であるとしても、その循環の一端を担うことで停滞は免れる。

 

 ここから、「一帯一路」がインフラ支援に重点を置いてきた事情も見えてくる。

 各地にどれほど付加価値の高い生産物があっても、流通ルートに乗らなければ、国内はもちろん世界規模の経済循環に加わることはできない。高速道路、高速鉄道、空港、港湾などのインフラ整備は、世界規模の循環を実現するための「道」なのである。

 このインフラ整備に対して、途上国に「債務の罠」を仕掛けるものだという疑念が西側諸国から出ている。しかし、スリランカの事例をみても、中国の貸付は1割で、残りは国際金融機関や先進国の金融グローバル企業が債権者である。

 むしろ、「一帯一路」の具体的事業の事例を見てみると、別の姿が浮かび上がる。

 たとえば、アフリカ東部のケニアでは「一帯一路」事業として、ケニア初の有料高速道路網が建設された。ケニアはイギリスにとって重要な植民地の一つで、現在アフリカ有数の経済規模を誇る。独立後60年にわたって、イギリスはもちろん日本を含めた様々な経済支援やODAの対象となってきたが、首都の主要箇所と空港を結ぶ高速道路網が整備されたのは2022年のことである。ここに、西側の支援との違いが端的に表れている。

 どの国でもインフラ整備やその維持は公共部門が担う。近代型の都市生活には欠かせないが、不可避的に赤字になる不採算事業だからである。近年、新自由主義の風潮の中で水道事業などが民営化される事例も見られるが、利用料の高騰や質の低下で公営に戻す現実もある。

「一帯一路」は、インフラ整備を、大きな利益に繋がるとは言い難い建設後の長期的運営、維持も含めた共同事業として推進している。相手国の国内循環はもちろん、世界の経済循環に接続することで、内発的な経済発展を促すためである。単に売り込み先市場として考えているだけなら、むしろインフラは整備されていない方がよい。

 現在、150国以上に拡がる「一帯一路」によって地球の隅々にまでインフラ整備が進めば、まだほとんど知られていない生産物や製品、サービスが思いがけない勝機を掴む可能性がある。実際、中国でも消費者は個性的な商品や生活スタイルを求める時代に入っている。世界的な経済循環網があれば、世界の多様性が世界経済そのものを活かすことになる。古代シルクロードも周辺各地の多様性が豊かさを生んだ。中国が目指している人類運命共同体や一帯一路とは、そうした活かしあう共同体としてのグローバル社会である。

 

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