被害と加害の歴史を心に刻み、戦後80年「不戦平和」を維持する努力を

2025-08-14 10:13:00

日中関係学会副会長兼東海日中関係学会会長 川村範行・名古屋外国語大学名誉教授  

私は、7月7日に中国武漢大学主催の戦後80周年に関する国際シンポジウムに招かれて講演しました。そもそも、7月7日は何の日ですか-日本では織り姫と彦星が年に一度出会う優雅な「七夕」の日を思い浮かべますが、1937年のこの日に中国北京郊外の盧溝橋で事件が起き、抗日戦争が本格的に拡大する重要な転換点となった日であり、中国人にとっては忘れられない歴史に刻むべき日なのです。  

戦後80年と言えば何を思い浮かべますか-武漢大学のシンポジウムのテーマに明記されていましたが、中国では「抗日戦争勝利80年・反ファシズム戦争勝利80年」であり、即ち、日本と戦い抜いた被侵略国の意識です。日本人にとってはどうか-「終戦から80年」であり、「広島、長崎への原爆投下」や「名古屋空襲、東京空襲」という、被害意識がほとんどであり、中国大陸など外地で侵略を行ったという加害意識はほとんど無いのです。日本と中国では戦争に対する意識が全く違うのです。  

それは、1931年から45年までの14年間もの長きにわたる抗日戦争で中国人死傷者3000万人以上を出した悲惨な戦場が遠く離れた中国大陸ほかアジア・太平洋であり、日本での戦争報道も管理されていて、不都合な真実を全く知らされなかったためです。 

ドイツのワイツゼッカー大統領が戦後 40年の1985年に国会で「荒れ野の40年」と題して演説し、「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」と述べて、「歴史を心に刻む」ことを訴えました。常に戦争の歴史を「心に刻む」ことが、戦争を起こさないことにつながるのです。  

日本人は本土で受けた被害の歴史だけでなく、外地で行った加害の歴史も事実を知り、「心に刻む」ことが重要であります。私は大学教授として、学部生や大学院生に、毎年、戦争(日清戦争、日露戦争から抗日戦争に繋がる歴史的経緯と抗日戦争の実態を客観的に講義し、日本人として被害意識と加害意識の両方を自覚し、二度と悲惨な戦争を起こさないよう一人一人が心に刻むことが大切だと教えてきました。  

振り返れば、日本は甲午戦争から10年後に日露戦争を起こし、それから20数年後に抗日戦争を拡大しました。しかし、抗日戦争・アジア太平洋戦争で無条件降伏をしてから80年間、日本は中国とも他の国とも一度も戦争をしませんでした。80年の長きにわたり不戦平和を維持したことが極めて貴重です。  

なぜ、日本が戦後80年間、「不戦平和」を維持できたのか。  

第一に、戦争放棄と戦力不保持、交戦権否認を定めた日本国憲法の力です。朝鮮戦争やベトナム戦争に日本が直接派兵をしなかったのは、平和憲法の歯止めがあったからです。 

第二に、1972年の日中国交正常化共同声明で、「すべての紛争を、武力ではなく、平和的手段で解決する」とする、不戦の誓いを明記しました。1978年に国会承認した日中平和友好条約で「両国間の恒久的な平和友好関係」を法的に制度化したことが重要です。国交正常化共同声明と平和友好条約が日中間の不戦を支えてきたと言えます。 

第三に、日中両国が経済貿易を通して相互協力を深めたことが、戦争への抑止力になったと見る事が出来ます。  

しかし、最近、日中両国間で安全保障を巡るリスクが懸念されている。 

ロシア・ウクライナ紛争やガザ戦争に加えて東アジアの安全保障を巡る環境も変化しています。中国は国家安全をますます重視し、日本は安全保障政策を転換しました。日中両国間で交流や意思疎通を密にし、偶発的衝突や武力紛争などは絶対に防がねばなりません。その為には次の2点が必要と考えます。  

第一に、論語には次のような言葉があります。「本立而道生」。根本がしっかりと定まれば、自ずと進むべき道が生じるという意味です。日中両国が日中国交正常化、及び日中平和友好条約の原点を確認して、将来も「日中不戦平和」を維持する必要があります。  

私が会長を務める東海日中関係学会は2022年の日中国交正常化50周年記念国際シンポジウムで「武力ではなく、対話と外交力で平和構築を」と主張しました。また、中国駐名古屋総領事館の支援のもと、23年、24年と2年連続で学術訪中団を派遣し、中国外交部や中国社会科学院日本研究所ほか上海のシンクタンクや復旦大学などとも積極的な対面交流を通じて、日中関係の協調的発展について相互理解を深めました。 

第二に、将来は、武力に頼らず紛争予防を主目的とする欧州安全保障協力機構(OSCE)を参考に東アジア安全保障協力(OSCE 東アジア版)を、先ず日中両国が中心となり、研究者・シンクタンクが研究を進め、政治家を巻き込んで、各国政府と連携をして東アジア全体で不戦平和の枠組みを構築することを提起します。 

今から約 2500 年前、中国の春秋戦国時代に思想家の墨子は「兼愛非攻」を提唱しました。墨子は相手への攻撃を戒め、仮に攻撃されたら防御する専門集団を訓練していました。現代に照らせば専守防衛(非攻)の立場で、全方位外交、国際協調主義の考え方です。墨子の思想は七カ国が武力で相争っていた当時、非現実的だと批判されましたが、21 世紀の今こそ見直されるべき思想ではないでしょうか。「日中不戦平和」「東アジア安全保障協力」は、時空を超えて墨子の思想を受け継ぎ、現代に開花させる営みとも言えます。 

 

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