「平和主義」の現在を問い直す:「日中友好による安全保障」への回帰を!

2025-08-15 09:27:00

文=石田隆至(上海交通大学人文学院副研究員) 

戦後の日本は、平和憲法の下で「一度も戦火を交えることなく80年が経ったと言われる。ただ、近年の状況をみていると、本当に平和国家なのかと気が滅入ってしまう出来事が相次いでいる。 

たとえば、沖縄では敵基地攻撃のための拠点が構築されている。しかも、先制攻撃の可能性が排除されていない。憲法9条の戦争放棄や、憲法解釈に基づく「専守防衛」はどこにいったのか。 

攻撃の対象となる「敵」の基地とは、中国のそれである。中国は日本を仮想敵として戦争準備をしていない。仮に日中関係が問題であるとしても、攻撃の準備以前に、外交交渉や国連の仲介など平和的アプローチが幾つもある。中国との間で結ばれた日中平和友好条約は破棄されていない。 

ミサイル配備など攻撃体制を整えるため防衛費が急増している。GDP1%枠を2%にまで拡大していく一方で、教育関係予算は減った。経済の長期停滞や高齢化の進展を考えれば、社会保障制度の充実が不可欠だこれこそ、軍国主義化と呼ぶべき状況ではないか。 

教育勅語などを使った軍国主義教育を学校現場で復活させようとする動きも見られる。国民は天皇に尽くすべきという精神教育は侵略戦争を支え、自他の人権を毀損することに繋がったため、敗戦直後に否定されている。 

政治的な動きだけではない。排外主義を唱える政党が有権者の支持を集めて躍進したことは記憶に新しい。他民族蔑視が残虐行為の温床にもなったことから、戦後の日本は露骨な排外主義を掲げることを自己規制してきた。憲法前文は「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国際主義を謳う。 

排外主義の台頭を可能にしたのは、歴史改竄主義の浸透だ。冷戦後の1990年代は戦争体験世代が高齢化した時期と重なる。侵略戦争の史実を否認し、戦争責任を曖昧化する動きが高まった。そこから30年が経ち、50代以下の世代にとっては、美化された歴史が「作られたもの」という自覚さえ希薄になっている。「戦争被害者」としての自己認識は戦後初期から見られたが、「いつまで謝罪すれば済むのか」といった攻撃性が顕著になるのは90年代以降である。侵略戦争の加害者はどこにいるのか。 

筆者が近年心配しているのは、日中友好運動の現場でさえ中国「脅威」論が浸透していることである。中国や朝鮮半島などを侵略して甚大な被害を与えたことを直視し、一定の贖罪意識を持っていた良心的な友好人士のなかにさえ、現在の中国を「脅威」とみなす人が現れた。政治家やメディアが煽る中国の「脅威」なるものは根拠を欠く。中国の軍事費の増大は経済成長やGDPの増大に伴う数値であり、経済の低成長なのに防衛費だけが増える日本とは事情が異なる国際ルールを無視する中国とレッテルを貼る日本政府は「釣魚島」を一方的に国有化し、日中共同声明を矮小化してきた。にもかかわらず、市民が「脅威」論を内面化し、戦争準備も止むを得ないと自発的に主張するようになった現状は、翼賛体制の一歩手前まで来ているのではないか。 

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日本には、軍隊も武力行使も放棄する先駆的で誇るべき平和憲法が存在する。「武力の先行放棄こそ安全と平和を実現する」という新たな平和モデルを生み出し、世界にオルタナティブを提供できる条件を備えていたはずだ。しかし、現在の日本はまったく帰結に辿り着いた。「平和主義」の失敗をどう受け止めればよいだろうか。 

そもそも日本の平和主義とは何なのか。戦争、軍隊、武力行使のいずれも放棄する理想主義的ともいえる憲法9条の規定は、日本による侵略戦争が歴史上先例をみないほど大規模かつ深刻な被害をもたらしたことの反作用だった。同時に、平和的手段だけでも平和を実現できるという挑戦性が内包されていた点が重要だ。それは、圧倒的な抑止力を備えることで「敵」に武力行使を自制させるタイプの「平和」とは異なる。どのような他者をも信頼し、対話や交渉を通じて友好関係を作っていくという能動的な平和意志である。 

敗戦後の民主化を支持した人々は、この「平和的手段による平和」に希望を見出していた。ところが、程なく日米安全保障体制が作られ、自衛という名で再軍備が行われ、周辺国に対する共産圏封じ込め政策にまで加担していった。冷戦終結後も安保再定義で中国が敵視された以上、冷戦体制に還元できない日本の主体性が浮かび上がる 

このような「平和主義」へと変質してしまったのはなぜか。侵略戦争の当事者が自らの罪の取り返しの付かなさにおののき、二度と繰り返さないための不断の努力だけが唯一の償いだと深く自覚するとき、平和主義は確かな歯止めとなりうる。しかし、そうした根本的な反省を経由することなく、GHQ主導民主化の結晶である平和憲法を受け入れたに過ぎない。戦争指導者は東京裁判で自らを「平和主義者」だったと言い逃れ、民衆も「戦争は悲惨だ、りだ」と後ろ向きの平和観しか持てなかった。平和的手段によって何としても平和を作り出そうという能動性がないまま、現在に至っている。抽象的な平和論は「戦争やむなし」へと簡単に転化する。 

「平和主義」の失敗を乗り越えていくために何ができるのか。 

一つは、民間レベルを含めた被害国との交流の拡大である。中国や朝鮮半島の人々の「顔」に直接触れれば、「歴史」を避けて通ることができない。歴史歪曲は日本の中では通用しても、被害者や被害国はゴマカセない。グローバル化が進展し、日本には被害国出身者も数多く暮らす。そうした人たちと交流することで、日本は「戦争被害者」なのかを問い直し、祖父母らの世代がどのような戦争をしたのか、戦後世代はその責任にどう向き合ったかを学び直す必要がある。 

もう一つは、中国や朝鮮半島を含めた周辺国との友好構築を最優先にすることだ。隣国が「敵」ではなく友好国であれば、「脅威」は消え、戦争準備も不要になる。日中友好を深めるほど、両国の安全は保障される。これこそ、「平和的手段による平和」という敗戦直後の平和主義を具体化するアプローチだろう。防衛費を増やさなければ、国内の困窮層支援や原発事故の処理等に当てることができる。市民の生活や心情が安定すれば、排外主義も沈静化する。日中平和友好条約とは、友好を深めて平和を実現することで、日中間の戦争を終わらせようとする叡智だった。平和主義こそ、日本と東アジアの過去と未来を救う道である。 

人民中国インターネット版

  

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