敗戦80周年、歴史的負担を解き放つ機会を逸した日本
文=項昊宇 中国国際問題研究院アジア太平洋研究所特任研究員
8月15日、日本の「全国戦没者追悼式」において、石破茂首相が13年ぶりに「反省」を直接表明し、国内外から広い関心を集めた。一方で、日本国内の「8・15」関連の動きの背景には依然として各種勢力の激しい対立が映り込んでおり、日本が歴史問題において全体的に後退していることが反映されている。
穏健な保守派に属する「政策通」として知られる石破茂氏は、その歴史認識が安倍晋三氏ら保守派政治家に比べてより反省的だとされている。石破氏はこれまでも日本の侵略史を公に認め、政要の靖国神社参拝には否定的立場を示してきた。そのため、敗戦80周年という重要な節目における同氏の発言に対し、国内外から一定の期待が寄せられていた。国内の多方面からの圧力を受け、石破首相は10年ごとに行われる「首相談話」を発表する慣例を踏まえなかったものの、公式追悼式での式辞を通じて個人の特色を打ち出し、練り上げられた「バランスの取れた」歴史観を外界に伝えようとした。
まず、石破氏が「反省」に直接言及したことは、一定の積極的な歴史認識を示している。安倍氏が70周年談話で「侵略」「植民地統治」「深い反省」「お詫び」などのキーワードを「過去形化」した間接的表現とは異なり、石破氏は比較的直接的な表現を選択した。彼は明確に「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」「進む道を二度と間違えない」と述べ、これは日本の首相が敗戦記念日の式辞で13年ぶりに直接的な「反省」を表明したものである。この表現は1995年の「村山談話」のように「心からのお詫びの気持ちを表明いたします」という明確な文言を使ってはいないものの、少なくとも形式的には日本政府が「村山談話」を通じて確立した公式基調に回帰したものであり、アジアの隣国の感情をなだめようとする姿勢と見なすことができる。
次に、石破氏が「加害責任」を回避したことは、日本の主流の第2次世界大戦史観の消極的な本質を踏まえている。石破氏は反省の意を表明した後、すぐに話題の重点を日本の戦後の平和的発展と未来への約束に移し、「平和国家」としての戦後の道程と国際社会への貢献を強調した。これは日本の歴代内閣が歴史的責任を回避する際に慣用される叙述手法であり、一つは「現在の平和貢献者」としてのイメージで「過去の戦争加害者」としての身分を覆い隠そうとするものであり、もう一つは「戦争の惨禍を決して繰り返さない」という誓いを強調することで、未来の平和に対する抽象的な約束を通じて過去の戦争責任に対する深い追及を回避し、道義的に国内外の理解と支持を得ようとしているのである。
石破氏が80周年談話を発表するか否かを巡り、日本の政界では激しい「暗闘」が繰り広げられた。石破氏の今回の式辞は公式の恒例記念行事における短いあいさつではあったが、依然として日本国内の政治的駆け引きの産物である。石破氏は隣国との関係修復を望みつつも、国内右翼保守勢力の反発を恐れており、右翼の「歴史修正主義」とアジア隣国の圧力との間で妥協点を見つけようとした。その折衷案として、石破氏の発言は実質的に日本の戦後における歴史問題での一貫した両面戦略を踏まえたものであり、反省を抽象化し、加害責任を薄くし、歴史の教訓をあいまいな道徳的スローガンに簡略化している。
歴史問題に関して、日本政府は95年の「村山談話」、2005年の「小泉談話」、15年の「安倍談話」を基本的立場として、さまざまな程度の反省と謝罪を行ってきたが、全体的な立場は徐々に後退している。「村山談話」は初めてアジアに対する日本の植民地支配と侵略行為を認め、「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明した。しかし、その後の歷代政権はこの立場を徐々に薄め、近年では「戦後の歷代内閣の立場は揺るぎないものであります」とだけ漠然と主張している。「安倍談話」はさらに「戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」ことに重点を置き、歴史問題に早急に「幕を下ろそう」としている。第2次世界大戦の呼称については、日本国内では「あの戦争」「太平洋戦争」「日中戦争」などの中立的表現が引き続き使用されており、侵略の本質と敗戦の結果を意図的に薄くしている。
日本の修正主義的な第2次世界大戦史観は、東京裁判、靖国神社、慰安婦、労働者の強制徴用、教科書、南京大虐殺などの多くの具体的な問題にも表れている。日本の政治的右傾化と保守化が進むにつれ、憲法擁護の立場を堅持し、アジア諸国に誠実に謝罪することを主張する左翼勢力は衰退し、右翼勢力は歴史の再構築を加速させ、「村山談話」と慰安婦問題について謝罪した「河野談話」を「自虐史観」と宣伝し、東京裁判を「勝者による敗者への不公正な裁判」と妄言し、「戦争の被害者」としての日本の犠牲と悲劇を大々的に宣伝し、さらに日本を欧米帝国主義に対抗する「アジアの解放者」として構築し、「植民地有功論」を宣揚している。右翼団体はネットを通じた世論形成、書籍の出版、講演会の開催、政治家へのロビー活動などを通じて、南京大虐殺や慰安婦などの歴史的事実を力の限り否定している。このような歴史の美化と改ざんを続ける修正主義的動きにより、日本社会全体の世論と国民の歴史認識があいまいになっている。敗戦80周年を機に、日本国内では戦争犯罪に対する真の反省が著しく欠如しているばかりか、むしろ日本のメディアはアジア隣国の日本関連歴史問題への動きに高度に警戒し、中ロ韓が日本に対して「歴史カード」を打っていると派手に宣伝し、中国の「9・3」記念イベントについても批判的な報道をしている。
修正主義的な第2次世界大戦史観の浸透に伴い、日本の若い世代は総じて歴史を知らなくなっている。日本国内で主流の第2次世界大戦についての叙述は、日米が交戦した「太平洋戦争」に焦点を当てており、アジアの隣国に対する日本の侵略と植民地化の犯罪を意図的に無視し、長期にわたって自身の「被害者」としての立場を強調し、広島と長崎での原子爆弾投下や東京大空襲の悲劇を宣伝している。濃厚な「被害者意識」は、「加害者」としての日本の集団的責任を大きく覆い隠している。同時に、日本の保守系右翼勢力は日本社会の「謝罪疲れ」をあおり、日本政府が戦後に何度も謝罪したにもかかわらず中韓などの国からの「理解」が得られなかったと主張し、「子孫に永遠に謝罪の宿命を負わせるべきではない」という論調を打ち出している。その背後には、日本が「敗戦国」という身分ラベルと「正常国家」を目指す志向との間で揺れ動いていること、戦後長期にわたって、明確で自信があり、隣国に受け入れられる国家アイデンティティーを確立できなかったことによる深層の不安がある。
日本の歴史認識における葛藤した心理状態は、政治的機会主義、社会的記憶の断絶、そして国家アイデンティティーの焦燥感が複合的に作用した結果である。欧州の経験を参考にすれば、加害国の誠意が被害者に受け入れられる場合にのみ、歴史和解が可能となる。日本が責任ある大国として本当に世界に屹立するためには、短期的な政治的計算を超える勇気と知恵を持ち、この機会を生かしてより明確で責任ある表明を行わなければならない。これはアジアの隣国への説明であると同時に、日本の国家的未来に関わる選択である。引き続き重い負担を背負って前進するのか、それとも負担を解き放とうとするのか――その選択権は日本自身の手にある。
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