鄭和碑の「発見」――大航海家と西安との深い縁

2024-03-14 15:36:00

なぜ「鄭和碑」を探すのか 

「なぜ『鄭和碑』を探しに行くのか?そこにあるじゃないか」という人もいるかもしれない。 

そう、それは確かにずっと清真寺の中に立っていて、通り過ぎる人も多い。だがじっくりと読む人は少なく、碑文を詳しく研究する人はなおさらだ。だから、見掛けることは「発見」と同じではない。 

実際のところ、鄭和碑の「発見」は偶然ではなかった。以前、私は海のシルクロードと西安との関連を探しており、海のシルクロードの誕生隆盛が西安の地と密接な関係を持っていることをよく知っていた。鄭和の西洋下りが海のシルクロードの最も輝かしいシンボルである以上、西安に鄭和の足跡があるのではないだろうか? 私はこの考え方に沿って調査を始めた。そうして、ついに大学習巷清真寺で「鄭和碑」を「発見」し、そこから鄭和とその先祖の遺跡に対する一連の捜索を展開した。 

「鄭和碑」の発見により、鄭和と西安の町に深い関連が生まれ、これにより鄭和に「結び目をつくる人」という身分が加わった。陸のシルクロードの起点西安で、鄭和は海のシルクロードと陸のシルクロードに完璧な「結び目」をつくり、海のシルクロードと陸のシルクロードの西安での重要な交差を完成し、非凡な「握手」を実現させた。この交差と握手によって、私もより大きな視野から鄭和の西洋下りの価値を改めて見つめ始めるようになった。 

和して同ぜずの運命共同体 

鄭和の西洋下りの研究は20世紀始めに盛り上がったが、その後徐々に下火になった。その要因の一つは新しい実物資料の不足で、これは客観的に研究の停滞を招いた。また、鄭和に関する過去の研究はルートの再現や歴史探訪に集中しており、地球史の高み、文明交流の側面、経済貿易の新秩序構築の推進といった角度からの研究が相対的に弱かった。 

比類ない鄭和艦隊は、色とりどりの旗を翻し、威風堂々と進み、アジア、アフリカ、欧州をつないだ。そこには今日の東北アジア、東南アジア、中央アジア、西アジア、南アジア、東アフリカが含まれていた。文明交流の共同体、経済貿易協力の共同体をつくり上げ、そこから新しく一体的な世界が運命共同体として海上に形成されたことは、地球史の序幕を開き、海洋新時代の開始を示した。鄭和の偉大な実践は、最終的に海のシルクロードと陸のシルクロードの交差を実現し、彼も二つのシルクロードの真の「結び目をつくる人」となり、その「結び目」は西安から広大なインド洋まで及び、今日の世界にまで影響を与えていると言ってもいい。 

そもそも、鄭和の西洋下りは強大な国力が推進した国家的行為で、深い中華文化の蓄積と中華文明の精神を内核とした国家的行為でもあった。鄭和の偉大な実践は、和して同ぜず、開放寛容、協力ウインウインの中華文明の精神が、新たな国際交流の基準を打ち立てるのに役立ち、これらの基準が、地域の平和秩序を打ち立て、地域協力発展を推進する重要な基礎ともなることを証明した。この側面の重要な例の一つがマラッカの台頭だ。 

鄭和は7回の西洋下りでマラッカに6回駐留し、マラッカの繁栄をけん引し、最終的に同地を東洋と西洋の貿易の中継地点にし、欧州文明、インド文明、イスラム文明、中華文明など多様な文明文化が融合共生する代表的な地域とした。マラッカの台頭は東洋と西洋の交流の重心がユーラシア大陸から海上に移ったことを示し、人類運命共同体の不可逆的な海洋指向を示し、それによって世界の枠組みを変えた。現在、マラッカはすでに世界文化遺産に登録され、その核心的価値は数百年後も依然として世界に認められている。 

私はこれまでに2回マラッカに鄭和の足跡を探しに行った。マラッカの中国に対する友好度、肯定感は非常に高く、これは鄭和と大きな関係があることに気付いた。現地の華人は中学校の歴史の教科書で、鄭和が友好の使者、平和の使者であることを学ぶ。マラッカの人々は鄭和がもたらしたのは平和と友好だけにとどまらず、経済貿易の発展、経済の繁栄をももたらしたと考えている。だから鄭和の話をすると、マラッカの人々、ひいてはマレーシアの人々は皆彼のことを知っている。 

今回の「鄭和碑」の発見は、国際社会、特にマレーシアで高い関心を集めた。昨年3~11月、マレーシアペナン州元首のアフマドフジ氏、ペナン州議長の劉子健氏、マレーシア観光芸術文化部部長の張慶信氏、副部長のカイルルフィルダウス氏、マレーシア駐西安総領事の林雲亮氏らマレーシアの政府要人が次々と「鄭和碑」を参観した。マレーシアの有名なモダンダンスグループ「ドゥアスペースダンスシアター」の芸術家たちはプラナカンの伝統衣装をまとって、「鄭和碑」の前で伝統舞踊を披露し、中国人に対する今日のマレーシア人の深い思いを「鄭和」に見せた。 

これらは全てある側面から、数百年後の今日、世界が依然として鄭和精神を必要としていることを再度物語っている。「和して同ぜず」から「運命共同体の構築」まで、鄭和の7回の西洋下りは偉大な実践を行った。 

今日の「鄭和碑」の発見はまた、現代人に、「鄭和」が遠くへ去っていないことを気付かせてくれる。彼は私たちのそばにいるのだ。私は「鄭和碑」を触るたびに、まるで数百年の時を超えて「鄭和」と握手しているような気がする。その感覚はとてもリアルなものだ。 

 

劉震Liu Zhen) 

陝西省人民対外友好協会理事、東北アジア地域地方政府連合会名誉宣伝大使、ネットサービス大手の新浪陝西支局総編 

集長。地域文化資源の発掘紹介の仕事に長く尽力し、文化を通じた公共外交を推進している。 

マラッカの鄭和記念彫像 

マラッカ鄭和文化館に陳列された鄭和艦隊の模型 

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