「DeepSeek」の衝撃から考える
またもや「中国の衝撃」!
春節を前に世界を駆け巡った中国の生成AI・大規模言語モデル「DeepSeek」(ディープシーク)のニュースを前にしての感慨です。この「衝撃」という言葉には、素直な驚きとともに、メディアの伝え方に抱いた「違和感」と、一方でAIに通じた専門家が語る論調との距離感など、実に複雑な感覚の全てが含まれます。そこで、この「衝撃」をどう受け止め、どう読み取るのか、私たちの中国認識とどう関わるのかという視角で、考えるところを述べてみたいと思います。
発言に問われる「立ち位置」
ディープシークについて考察を進める上で、まず筆者の立ち位置を明らかにしておくことが大事だと考えます。報道への「違和感」などと言うと訳知りに響くかもしれませんが、結論から言えば、人工知能・AIについての知識はほぼ素人レベルです。ただ、放送メディアの仕事を離れた後大学の教壇に立っていた時、「メディア論」の講義を担当するのと合わせ、学部生、大学院生、さらに大学院を修了した社会人が合同でいくつかのテーマを定めて毎年1年かけて研究するユニークな「ゼミ」の指導教員グループの一員に組み込まれ、さまざまな分野のテーマに取り組むことになりました。その中で10年ほど前に、人工知能・AIを地域社会でどう活用していくのか、データ処理・IT領域を専門とする教授と2人で研究グループの指導に当たることになりました。メディアに身を置いて人工知能について考えてきたことをもとに、深めるべき論点を提起し、課題設定していくことが役割でした。そのために必要に迫られて、少しばかりですが人工知能について勉強もしなければなりませんでした。当時は「深層学習」やAIが人間を超えるかどうかという議論などが重要な論点となっていました。このささやかな体験を除けば人工知能・AIについて専門的な知識があるわけではありません。
こんなことを長々と書いたのは、冒頭に「違和感」と書いた、各メディアの人たちはどんな理解でこんなことを言っているのだろうかと感じたことと深く関わるからです。どういう「立ち位置」でディープシークについて発言するのかが大事な前提だと考えるからです。
ディープシークの「衝撃」とは
そこで、ディープシークの「衝撃」です。
ちょうど春節を前にした頃日本のメディアで大きなニュースとして伝えられたことは読者の皆さんもご記憶だと思いますが、日本では、ディープシークの登場で米国の半導体メーカー、エヌビディアの株価が一挙に下落した(翌日には持ち直した)ということとセットでした。報道には「中国のスタートアップ企業が開発した生成AIによって、アメリカがけん引してきたAI市場の勢力図が変わるのではないかといった見方から半導体関連の銘柄に売り注文が広がり……」というコメントがありました。要は、中国発のAIディープシークはそれまで世界をリードすると思われていた米国の生成AI「ChatGPT」(チャットGPT)の最新モデルに匹敵するかそれを超える性能であるにもかかわらず、開発や運用コストが驚くほど低く抑えられていることが分かり、それまで不可欠と思われていたエヌビディアの先端的GPU(グラフィックス・プロセッシング・ユニット)を大量には必要としないかもしれないという見方が広がって株価が一気に下落したというのです。テクノロジー本来の中身ではなく、米国の半導体メーカーの株価の変動で「衝撃」を伝えること自体が「いびつ」と言うべきですが、そこから続々とディープシークの何が「すごい」のかが語られることになりました。
ディープシークが昨年末に発表した「V3」モデルの開発費用は560万㌦、開発に数十億㌦の資金が費やされたとされるチャットGPTと比較すると、驚くべき低コストでした。また、大規模言語モデルは膨大なデータを学習させて構築される人工知能ですが、効率的な学習方法でコストが飛躍的に抑えられたというのです。さらに、先端的GPUを大量に使わなくとも開発できたということは、必然的に大量の電力消費も避けられるということで、エコという面でも驚異的な進化と言えるものでした。
それ以上に、開発したのがそれまで無名の存在だった海外留学経験もない梁文鋒氏という1985年生まれの青年だったことも世界を驚かせました。子どもの頃から数学好きの少年で、飛び級で浙江大学に入学、電子工学を学び、大学院で修士を修めた後杭州でヘッジファンドを創設、その資金をもとにAIの開発に取り組んだこと、開発のパートナーの一人、羅福莉氏は95年生まれ、北京大学で修士課程に在学中、AIの国際会議で8本の論文に関与し、「天才少女」と話題を呼んだ女性だということなど、次々に報じられる話題は読者をワクワクさせるものでした。
そうした中で筆者がもっとも注目したのは、ディープシークが「オープンソース」だということでした。ソフトを動かすためにプログラミング言語で書かれたソースコードに誰もが接することができて、必要に応じて自由に改良できるというわけです。米国では「金を稼ぐ」ためにどう課金するかが考えられていた一方で、誰にも開かれたディープシークは世界のIT関係者を感動させました。梁氏はかつてインタビューで「オープンソースは商慣行というよりむしろ文化で、それに貢献すれば尊敬を得られる」「技術者は、自分の仕事が他の人から追随されると大きな達成感を覚える」と語ったというのです。我田引水になって恐縮ですがこの話に接したとき、昨年の12月号に杭州での「国際人材交流大会」に参加した見聞に基づいて「『創新』の力強さに触れて」を書いたことを思い起こしました。多彩な創新にチャレンジしている現場に立って感じたことが、今まさに具体的な形をもって立ち現れたことに心躍ったのでした。杭州での現場感覚から言えば、中国では第二、第三の「梁文鋒」が、AIにとどまらず、さまざまな先端分野、領域で出てくるだろうという予感を抱きます。そんな期待や想像をかき立てるディープシークの登場は間違いなく「衝撃」でした。
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