「DeepSeek」の衝撃から考える
ネガティブ報道と違う「風景」も
しかし、日本のメディアでは初報の段階で「ディープシークについては、米オープンAIの技術を不正利用したとの指摘や個人情報の取り扱いへの懸念が欧米から出ている。共産党政権が宣伝色を強めれば、海外を中心に利用者の急増にブレーキがかかる可能性もある」といったコメントを付けることを忘れませんでした。さらに挙げればきりがないネガティブな報道が相次ぎましたが、中でも、米国の先端半導体の中国への輸出規制が強化される中でディープシークが登場したことに、「米中間のAI競争における議論を巻き起こしている」、端的に言えば、抑え込んだはずだがこんなことになるとはという「愚痴」をこぼすとともに、「経済安保」の観点から「もっと強力に封じ込めなければ」という論調が一層喧しく語られるようになったのでした。
しかし、内外の報道をつぶさに読み込んでみると違った「風景」も見えてきました。「中国製AIモデルを絶賛するシリコンバレー」と伝えたのは米国のウォールストリートジャーナルでした。「シリコンバレーのベンチャーキャピタリストで、ドナルド・トランプ米大統領に助言するマーク・アンドリーセン氏は1月24日、X(旧ツイッター)への投稿で『ディープシークR1は、これまでに見た中で最も驚くべきブレークスルー(飛躍的な進歩)の一つだ』と述べた」「サンフランシスコのAIハードウエア企業ポジトロンの共同創業者バレット・ウッドサイド氏は、自身と同僚の間ではディープシークの話題で持ちきりだと述べた。ディープシークのオープンソースモデルについて『非常にクールだ』と話した」などとシリコンバレーの受け止めを興奮気味に伝えました。また、米ブルームバーグのコラムニストでジョージ・メイソン大学教授のタイラー・コーエン氏は「多くの若い米国人にとって、そして筆者は年配の米国人としてこう言うが、ディープシークは実にクールだ」と述べて、「AI大規模言語モデルの中で、ディープシークは驚異的だ。その技術的達成や低コストはさておき、このモデルには本物の才気がある。……あらゆる主要な大規模言語モデルの中で、筆者はディープシークとチャットするのが最も楽しいと感じている」と語りました。ここでの「クール」とは若者言葉で言えば「カッコいい」ということになるでしょう。
専門的知見を持つ人ほどディープシーク出現の価値や意味を的確に語っているというわけです。さらに、中国でこのような世界を驚かすイノベーション(創新)が起きたことは偶然ではなく、中国の「創新」に取り組む積み重ねの必然の結果だという認識が大事だということもぜひ知っておかなくてはならないでしょう。
「中国の衝撃」と向き合うとは
本稿を「中国の衝撃」と書き始めましたが、これは筆者が中国と向き合う立脚点というべき「物の見方、考え方」について多くを学んだ書の一冊、溝口雄三氏(東京大学名誉教授)の著『中国の衝撃』(東京大学出版会2004年)の言葉をそのまま引いたものです。溝口氏がこの言葉に込めたものは歴史的、思想、哲学的にとても深いものがあり、感銘を受け、共感を深くするものでした。今回のディープシークの登場と向き合う際にも溝口氏の語り掛けに耳を傾けておく必要があると感じます。少し長くなりますが大事なところなのでお許しください。
「私がここで『中国の衝撃』という題名を使うのは、あのアヘン戦争以来のいわゆる『西洋の衝撃』を暗黙の前提にしてのことである。といって、決して『中国の衝撃』が、かつての『西洋の衝撃』に今や取って替わろうとしている、と単純に言おうとするのではない。ただ、多くの共通認識として、われわれ日本は、『西洋の衝撃』を衝撃として真正面から受け止め、『文明開化』という名の西欧化を推進して現在に至っているのだが、その『外から』の衝撃の意味を二十一世紀の今日、日本人の立場で、東アジアの『内から』見直してみようという意図がこの『中国の衝撃』という言葉にこめてある」とこの書は始まります。そして「日本に対する中国の位相の上昇という局面に否応なく想到する。にもかかわらず、まだ大半の日本人はこのことの深刻さに気づいていない。そして日本=優者、中国=劣者という構図から脱却していない。その無知覚こそが日本人にとっての『中国の衝撃』である。衝撃として自覚されないがゆえに、衝撃は日本人にとって深刻なのである。……政府中枢から国民一般までが無自覚であることの、またそうであるがゆえの、何重もの鈍重な衝撃」と述べて、「誤解のないように言っておかねばならないが、私はここで『中国脅威論』を説こうとしているのではない。この『中国脅威論』は、一つに、問題を排他的な国民国家の枠組みで捉えていること、二つに、中国を国際秩序外の特殊国家とみなすことを前提にしていること、三つに、脅威という発想自体が蔑視の裏返しで、もともと世界の歴史的な差別構造の産物であること――などの問題点を抱えている。私は、むしろそういった前世紀的な偏見からどう脱出するかを前提にするべきだと考えている」さらに「われわれにとっての『中国の衝撃』は、優劣の歴史観からわれわれを目覚めさせ、多元的な歴史観をわれわれに必須とさせ、今後関係が深まるがゆえにかえって激化するであろう両国間の矛盾や衝突の中に『共同』の種を植え付けさせるものでなければならない」と訴え掛けています。
ディープシークの「衝撃」に際して考えさせられたことが、この溝口氏の言葉に凝縮されていると感じます。今回のディープシークの出現を巡る世界の動きから学ぶべきことの神髄はここにあると痛感したのでした。
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