窓の外にキツツキが

2020-03-26 16:58:57

 

鄧迎雪=文

鄒源=イラスト

 失明した後、彼の記憶は逆にますますはっきりと鮮明になった。

 彼はしばしば病気になる前のあの春の日を思い出す。机の前で本を読んでいると、突然窓の外に灰褐色の小鳥が飛んできて、窓枠に止まり、キョロキョロと周囲を見回した。そのくちばしは尖って長く、硬い鉄のかぎ針のようだった。羽根と尾っぽの羽は黒と白のしま模様で、とてもきれいだった。

 「なんてかわいい鳥だろう!」彼はしきりに賛嘆し、鳥が近くの果樹園に飛んで行くまで、まばたきもせずに見つめ、完全に魅入られていた。

 母は笑って、「キツツキのお医者さんがうちの果樹園に木の診察に来たわ。どうやら今年は大豊作みたいね」と言った。

 今でも昔のことがありありとまぶたの裏に浮かんでくる。現実の風景は変わらないが、人間だけが変わってしまった。彼の世界は崩れ去り、彼の好きなキツツキもどこかへ飛んでいってしまった。

 そこまで考えて、彼はひそかに涙を流した。母は彼のそばに座って、何も言わずに彼の涙を拭い、荒れた手で温かく彼の髪をなでてくれた。

 ある日、彼がベッドに横たわっていると、母が突然うれしそうに、「キツツキが飛んで来たわよ。今窓枠に止まっている」と言った。

 彼はがばっと身を起こした。それはなんてうれしいことだろう。戦友に再会したかのようだ。

 彼は声をひそめて母に聞いた。「前に来たのと同じ?」母は声を低くして言った。「同じね。前のと同じかもしれない」。

 彼は顔を窓に向け、懸命に耳をそばだてたが、何の音も聞こえなかった。

 母は「今日は機嫌がよくないから、歌を歌いたくないんでしょう」と説明した。

 彼が病気になってからというもの、母はどんどん強く、ユーモラスになり、母の話は彼を楽しませた。

 翌日、彼は本当にキツツキの声を聴いた。そのアン、アンという鳴き声は彼の耳にずっと残って離れなかった。

 実際には、キツツキの鳴き声はお世辞にも心地よいとは言えなかったが、彼の耳には天の声のように聞こえた。

 鳥が来るたびに、彼の心は喜びでいっぱいになった。母もこのキツツキが大好きだった。小鳥が来るたび母は静かに彼の向かいに座って、何も言わずに見ていた。母はぼんやり見ているんだろうなと彼は思っていた。

 その後、母は彼を連れ、至るところに医者を捜し求め、彼の視力はついに回復した。

 目の前の母はとても年を取っていた。秋風が吹き寄せると、一筋の白髪が母の痩せた顔を覆い、まるで熱い涙を浮かべた彼女の目を隠そうとしているかのようだった。

 彼は母の痩せ細った手を取ったが、感極まって何の言葉も出てこなかった。

 家に戻ると、彼は窓の外にキツツキがいるかどうか見るために、窓の前に行った。

 しかし彼は、外の世界の全てに驚いた。以前、青々と茂っていた果樹園はもはや跡形もなく、それに代わって簡易プレハブ住宅が建っていたのである。

 「あなたが病気になった年に、果樹園を売ってしまったの」と、母は申し訳なさそうに言った。

 病気治療のために必要だったに違いない。治療代金は家で以前から蓄えていたお金で間に合うからと、母はずっと言っていたが、それは彼をだましていたのだった。ここまで考えたとき、キツツキはどこから来たのかと、さらなる疑問に襲われた。

 母は笑って言った。「キツツキはいなかったの。あなたを喜ばせようとしただけ。私が発明したのよ、録音テープを流して」

 彼の目から涙がゆっくりと流れ出た。母はもう60を過ぎた、平凡な農村出身の女性で、大した教養もなく、「録音テープを流す」というのが、彼女の人生で一番の発明だったのかもしれない。

 彼はもはやそのキツツキを見ることはなかったが、心の中にはずっと美しい小鳥――母の愛によって描き出された鳥が住んでおり、永遠に彼の生命の中を飛んでいる。

 

翻訳にあたって

 石川啄木というペンネームで日本人にはなじみのある「啄木」は、「木をついばむ」という意味をもつ言葉で、キツツキのこと。「啄木鳥(キツツキ)」は中国各地に生息するが、種類も多く、種類によって鳴き声はまったく異なるようだ。この文では、鳴き声が「昂áng」と表記されているので、この鳴き声と羽の模様からすると、日本には生息していない「星頭啄木鳥」というやつかな?などと推測するのも、一種の楽しみだ。

 

 なお、母の言葉の中に出てくる人称代詞「俺」は、「我(わたし)」の意味と同じで、主に北方で使われている方言。男女ともに使うことができる。(福井ゆり子)
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