旧年を振り返り 新年の期待語る

2024-02-02 14:10:00

~中国人中国在住外国人のゆく年くる年~

月日がたつのは早いもので、2023年はあっという間に過ぎ去り、2024年を迎えた。過去年を振り返れば、誰もが自らの成果や忘れがたい出来事にまつわるエピソードを持っている。 新年に際し、本誌はさまざまな分野で活躍する人の中国人と在中外国人にインタビューを行い、それぞれの旧年の歩みと今年の抱負を聞いた。彼らの努力と成長の物語に耳を傾けながら、希望に満ちた一年を共に祝おう。

 

高速鉄道の輸出拡大を願う---高速鉄道監理エンジニア袁家鈺さん 

付兆楠=文

「昨年10月17日16時35分、中国とインドネシアが協力建設したジャカルタ-バンドン高速鉄道が正式に開業しました。この瞬間のために7年間努力してきました」。2023年を振り返ると、中国鉄道科学研究院集団有限公司(以下、鉄科院)駐インドネシア代表処ジャカルタ-バンドン高速鉄道監理エンジニアの袁家鈺さんは、思わず胸が熱くなり、感無量になった。

16年に大学院を修了し鉄科院に入社した後、袁さんは鉄科院駐インドネシア代表処のジャカルタ-バンドン高速鉄道監理コンサルティングプロジェクト部に配属され、今まで主に同プロジェクトのビジネス契約や工事の検査、価格計算などの業務を担当してきた。「私が入社したのは、ちょうどジャカルタ-バンドン高速鉄道のプロジェクトが始まった年で、この高速鉄道は全くのゼロから完成に至りました。それは私にとって仕事を成し遂げたということであり、自分がこの地で仕事に励み、成長してきた日々の証しでもあります」と語る。

ジャカルタ-バンドン高速鉄道はインドネシア初であるだけでなく東南アジア初の高速鉄道であり、中国の高速鉄道が初めて全システム、全要素、全産業チェーンの海外進出を実現したプロジェクトでもある。「さまざまな制約のため、インドネシアの交通インフラはとても不足しています。ジャカルタとバンドンはそれほど離れていませんが、交通渋滞がひどく、普段でも車で3時間以上かかりますし、祝日や休日には5時間以上かかることもあります。ジャカルタ-バンドン高速鉄道の最高時速は350で、これにより両都市は最短46分で結ばれます」と袁さんは説明する。

ジャカルタ-バンドン高速鉄道プロジェクトを進める中で、監理コンサルティングチームは多くの困難と課題に直面した。言葉の壁や技術理念の不一致、文化の違いなどにより、中国とインドネシアの採算基準にはたびたびずれが生じる。この問題を解決するために、袁さんは常に各方面と共に現場へ足を運んで工程量をチェックし、計算に間違いが生じないよう努めた。インドネシアの規定と中国の高速鉄道の基準が一致しない場合、工期を遅らせないために進んで意思疎通を行い、解決方法を探した。「このような困難は他にもたくさんありましたが、鉄道が開通したことで、それらはもはや問題ではなくなり、ただ感動するばかりでした」と袁さんは語る。

運営側の統計によると、開通から1カ月で切符の販売数は100万枚を超え、平均乗車率は90%に達しており、そのことについて袁さんは「本当に誇りに思います」と語った。実際のところ、これは袁さんや彼のように苦心して働いてきた人々の努力、さらには中国の高速鉄道の技術が認められた結果だ。

昨年を振り返ると、ジャカルタ-バンドン高速鉄道プロジェクトの完了は、次のプロジェクトの始まりでもあることが分かる。「24年は、より多くのプロジェクトに参加し、世界の鉄道の発展に質の高いインフラサービスを提供したいです」と袁さんは期待を述べた。

 

5000の高原で過ごした5000日---税関職員蒋文傑さん

王雲月=文

 

「これまでと同じように、2023年もここで仕事を続けてきたことを誇りに思います」        

蒋さんは新疆ウイグル自治区にあるクンジュラブ(紅其拉甫)通関地の仕事場に入るたび、いつも決まって壁に書かれた「荒涼とした高原があるだけで、荒涼とした人生はない」という言葉に視線を送る。それが支えとなり、蒋さんは平均標高5100の高原で、寒く空気が薄いといった困難を乗り越え、長きにわたり持ち場を守り続けてきた。

クンジュラブはパミール高原にある峠で、新疆ウイグル自治区カシュガル(喀什)地区の西南部に位置し、パキスタンとの国境地帯に当たる。クンジュラブは中国とパキスタンを結ぶ唯一の陸路の通関地で、世界で最も海抜が高い国境検問所でもある。周囲は高山に囲まれ、一年中雪が降り積もり、「死の谷」と称される。

09年に新疆医科大学を卒業した蒋さんは、ふるさとの陝西省に戻って快適な生活を送ることもできたが、「自分を最も必要としている場所」で活躍したいという情熱を抱いていた。そうして、両親の反対を押し切ってクンジュラブ通関地に行く決意を固め、「国境の守り手」の一員として働いている。

ここ数年、蒋さんは主に通関貨物や人員の安全管理業務に従事してきた。勤務中は忍耐力と集中力を保つだけでなく、厳寒や酸欠、高山病などの身体的な試練にも耐える必要がある。「この高地で、人間の体は常に大自然と戦っています」と語る蒋さんによると、周りの同僚たちも不眠症や脱毛の問題を抱え、多くの人が睡眠薬に頼っているそうだ。

中国とパキスタンの間には3時間の時差があり、通関地の仕事には残業がつきものだ。「パキスタンの時間に合わせて毎日午後4時5時から夜中の1時半くらいまで、ずっと入境業務の処理に追われています」と語る。蒋さんによれば、仕事が終わると外はいつも真っ暗で、帰宅時に夜空を眺めながら幾度となく、「なぜこれまで続けてきたのだろう」と自分に問い掛けたという。

「このような過酷な環境で長く働くには強い信念が求められます。つまり、決心を不動のものとする理由が必要なのです」と話す。そして昨年、彼は新たな理由を得た。「昨年、クンジュラブ通関地の職員全員が習近平総書記からの返信を受け取りました。これは私たち一人一人にとって本当に大きな励みですし、自分の持ち場を守り続けるという私の信念はいっそう揺るぎないものになりました」

今年は蒋さんがクンジュラブで働き始めて15年目に当たる。通関業務の第一線で何千日も奮闘してきた彼は、クンジュラブ通関地の弁公室(総務部)主任に昇進した。そのことについて蒋さんは、「今年は私にとって新たなスタートです。長年、現場で働いてきたため、単調な生活に慣れてしまいましたが、弁公室での仕事は総合的な能力が求められます。新たな一年は立場の変化に早く慣れて、新しい持ち場で『人々を安心させ、満足させる』国境の守り手としての務めをこれからも果たしていきたいです」と述べた。

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