旧年を振り返り 新年の期待語る

2024-02-02 14:10:00

天候が穏やかでありますように---門頭溝村民李盟さん 

 付兆楠=文 

昨年の夏、北京市門頭溝区妙峰山鎮水峪嘴村に住む李盟さんは大規模な豪雨災害に遭った。「人生初の自然災害で、被災者一人一人にとって非常に大きな衝撃でした。大自然の前で人間がいかに小さな存在であるかを痛感しましたが、被災時に人の優しさに触れ、温もりと希望を感じました」と李さんは当時を振り返って語った。

昨年の7月末から8月初めにかけて、華北地方や黄淮地方などで集中豪雨が発生し、洪水や冠水、地すべりなどの自然災害を引き起こした。山と川に近い水峪嘴村は、洪水や土石流などに見舞われ、北京で最も大きな被害を受けた村の一つとなった。

李さんは被災当時の村の様子を今も鮮明に覚えている。「昨年8月4日、自宅に戻ってみると玄関と塀の外側が完全に流され、1階はほぼ浸水し、家電製品も使えなくなっていました。水はほとんど引いていましたが、壁には高さ2まで浸水した跡が残っていて、泥が1以上積もっていました」。李さんの家だけでなく、村全体で230軒の家屋が浸水し、そのうち181軒は建て替えが必要とされた。

李さんは当時の様子を多くの写真に残した。村の道路や民家、広場、河道、橋は洪水が引いた後、石やがれきに埋もれていた。「洪水で村が完全に破壊されたかのような光景で、心が痛みました。この衝撃と悲しみは、実際に経験してみなければ分からないと思います」

洪水の後、門頭溝区では泥の除去、家屋の修繕、電気の復旧など、さまざまな災害復旧作業が行われ、その過程で李さんは深い感銘を受けた。「災いは無情なものですが、人間には思いやりの心があります。復旧作業が始まってからは、政府や社会各界が力を合わせて、復興に尽力してくれました」

「今、家はほぼ完全に復旧し、壁は塗装されて浸水の跡も残っていません。1階のドアや窓、家具、電化製品も新しいものに交換して、生活も元通りに戻りました」と李さんは説明する。水峪嘴村は現在、ほぼ元の姿に戻っている。洪水で破壊された村のほとんどの道路が昨年11月までに修復され、水道、電気、ガスの供給も再開された。村民の家庭のクリーンエネルギーや暖房システムも全て正常に機能している。

新年を迎えるに当たっての李さんの願いは、非常にシンプルだ。「2024年は穏やかな天候に恵まれ、家族が無事で健康に過ごせて、みんなの生活が元通りになるよう願っています」

  

農村の環境は良くなるばかり---「農地管理人」劉洪青さん 

范国虓=文

 

冬の農閑期を迎えた今も、「農地管理人」の劉洪青さんは忙しい日々を送っている。夜が明けると、劉さんは寒風に負けず小麦畑に出掛け、旱鹼麦(乾燥したアルカリ性土壌に適応した小麦)の苗をチェックした。「私たちの村では、ますます多くの農家が『遊休』耕地に旱鹼麦を植え、かつて一毛作だったものを二毛作としています」。 劉さんは小麦の苗を手に取り、「一年中、畑の周りを行き来するのが私の日常生活です」と語った。

河北省滄州市の県級市である黄驊市の後仙荘村に住む劉さんは、10年前に後仙荘村農業合作社(協同組合)の責任者に選ばれ、2000ムー(1ムーは約0067)の旱鹼麦を受け持つ「農地管理人」となった。現地のアルカリ性土壌に対し、劉さんはさまざまな取り組みを行った。作物がしっかりと育って豊作となるように、劉さんは後仙荘村の党支部委員会村民委員会と協力し、農民に恩恵をもたらすさまざまな政策の実施を積極的に後押ししたほか、農業の専門家を招いて農民向けのマンツーマン指導も行った。そうして、アルカリ性土壌の土地は今や穀倉地帯へと様変わりを遂げた。「昨年、仙荘一帯の三つの村にある7600ムーの旱鹼麦が豊作となり、収穫量が例年を超えました。これは私にとって昨年で最も誇らしいことです」と劉さんは語る。

記者の調査によると、地元の旱鹼麦の収穫量が徐々に安定し、増産していくに伴い、後仙荘村は旱鹼麦の加工産業に注目し、旱鹼麦は製粉工場や「麺花(さまざまな形をした蒸し饅頭)」工房などから引く手あまたとなっている。

急ぎ足で面花工房に向かう劉さんの後を追っていくと、目の前に見えてきたのはスタッフがてきぱきと忙しそうに働く光景だ。蒸し器のふたが開けられると、そこには蒸し立ての麺花が並んでいて、湯気と香りが辺りいっぱいに広がる。「麺花の生産は18の工程があり、どの工程も手作業でやる必要があります。この技術を習得するために各地の麺花作りの専門家を招き、村民の研修に協力してもらいました。4~5年にわたる模索を経て、昨年にはついに延べ面積300平方以上の麺花工房を建てました。おかげで旱鹼麦を加工できるようになっただけでなく、10人以上の村民も仕事に就くことができました」と、目を輝かせる劉さん。「ここ数年、大勢の人が黄驊市に来て、麺花をお土産に買ってくれています。今、私は村民たちを手伝いながら、オンラインと近隣都市で麺花の販売をしています。麺花は私たち農民に増収をもたらすものとなっています」

続いて劉さんは昨年に後仙荘村で起きた変化について、次のように説明した。「昨年、私たちの村は大きく変わりました。排水溝の修理、街灯の設置、全ての大通りの整備と緑化などによって、村のインフラが大幅に改善されました」。さらに劉さんは、「ここ数年、村には文化広場や農家書店が整備され、農村文化街が設けられました。農村の環境は改善され、わが家も幸せに満ちています」と笑顔で語った。

今年の展望について、劉さんは後仙莊村の発展に自信を持っている。今後も引き続きこのアルカリ性土壌の大地に根差し、農業合作社の機能を生かして土地が持つより大きな可能性を探り、旱鹼麦の全産業チェーンを築くことで後仙荘村の発展の新たな未来を切り開いていきたいと決意を語った。

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