辺境の末端から開放の最前線へ――雲南・河口取材記
グローバル化の波の中で、人口や資源が大都市へ集中するのは一般的な傾向である。それと対照的に、多くの国境地域や辺ぴな農村では、若者の流出、活力の低下、発展の停滞といった問題に直面している。これは日本の「限界集落」や韓国の「人口過疎地域」に限らず、中国の一部の辺境地域にも共通する課題である。
しかし、中国・雲南省最南端に位置するある国境の小さな町は、これとは異なる答えを示している。
河口ヤオ(瑶)族自治県は、ベトナム・ラオカイ省と川を隔てて向かい合う地域である。1897年の開港、1910年の滇越鉄道(雲南省昆明とベトナム・ハイフォンを結ぶ国際鉄道)開通以降、この地は中国の「辺境の末端」から徐々に西南地域の国際的要衝へと発展してきた。
現在の河口は、多民族が共生し、多様な文化が交わる土地であると同時に、「中国の玄関口の町」として新たな姿を見せ、中越交流の最前線に立っている。
この百年の歴史を持つ国境の町は、いかなる力によって「地理的な末端」から「発展の最前線」へと飛躍したのか。人々はいかにして地元で生計を立て、生活を安定させているのか。そうした問いを胸に、私たちは河口を訪れた。
「八条半幸福村」の創業物語
于文=文
車は河口駅を出て、滇越鉄道沿線をたどりながら、「八条半」と呼ばれる小さな村へと向かった。
「八条半」という村名は、一見すると不思議な響きを持つ。調べてみると、1903年にフランスが滇越鉄道を建設した際、「一条」を1㌔の距離の単位としていたことに由来するという。河口駅からこの村までちょうど8・5㌔であったことから、「八条半」と名付けられたのである。
南国の「桃源郷」
車が狭い道を抜けると、山あいの視界が突然開けた。その光景は、東晋の詩人・陶渊明が『桃花源記』で描いた情景を思わせる。「初めは狭く人がやっと通れるほどであったが、数十歩進むとぱっと開けた」というあの描写そのものである。

目の前に広がっていたのは、まさに南国の「桃源郷」であった。
澄んだ小川がさらさらと流れ、木製の遊歩道が川沿いに延びている。背の高いバショウの木の陰には近代的なプールがあり、水遊びを楽しむ人々の笑い声と山中の鳥のさえずりが響き合っている。
SNSで調べると、ここは話題の観光地「八条半・憶光年」文化観光融合型幸福村であった。
「憶光年」という名称には、「過去の時の風景を懐かしみ、美しい未来を展望する」という意味が込められている。長い歳月を経た八条半において、時間と光がここに風景として凝縮されたというイメージである。
観光シーズンになると、各地から多くの滞在型旅行者が訪れる。キャンピングカーで数カ月滞在する者もいれば、テントを張って数日過ごす者もおり、この地の穏やかな気候の中で「ゆっくりと流れる時間」を楽しんでいる。
ゴム採取労働者の「地元起業」
八条半には、漢族・ダイ(傣)族・ミャオ(苗)族・ヤオ族など九つの民族が暮らし、33世帯109人が居住する、名実ともに小さな村である。
村の元党支部書記である林貴東さんは、私たちを自宅に招いてくれた。
村の住宅は2世帯1棟の小さな建物が山の斜面に沿って整然と並び、庭先にはパパイヤやドラゴンフルーツ、レモンなどの熱帯果樹が植えられている。これらの住宅は近年、居住環境改善のために改修されたもので、費用は住民と政府が分担している。
林さんは新しい住まいに満足しており、玄関には「老林家カフェ」の看板を掲げ、観光客を迎えている。農村の再生と経済発展において、彼はまさにその当事者であり先導者である。
「以前は村の収入はゴムの樹液採取に頼っていました。山は蒸し暑く蚊も多く、大変な仕事なのに収入は高くありませんでした」と林さんは語る。
「若者はその苦労に耐えられず外に働きに出てしまいましたし、残った私たちも年を取り、重労働がきつくなっていました」
このままでは人口減少や高齢化、経済の停滞は避けられなかったであろう。
そこで、農村振興を推進するため、2020年以降、政府は八条半を「国境幸福村」として支援し、関連政策を打ち出し、資金を投入した。22年11月までに、ポンプ施設や貯水池、安全な水供給設備、集約型畜産区、水上レジャー施設、観光サービスセンター、景観整備、小広場、花園、展望台などが整備された。
「この人気のインフィニティプールは、もともとは養豚場だった場所なんです」と林さんは笑う。
プールの水は山の湧水を利用し、浄化システムによって循環・補水が行われる仕組みである。
「鉄道と渓流の間にプールを作るというアイデアは、私の発案でもあります」と彼は誇らしげに語る。政府の支援はあったが、どのプロジェクトを実施するかは村が主体となって決めたという。河口には当時まともなプールがなかった。高温多湿の気候、南国の風情、山と水に囲まれた環境――そこに水遊びと憩いの場があれば観光客を呼び込めると考えたのである。
こうして計画は県の指導の下で具体化され、現在では村の収入の柱となる人気施設となったのである。
林さんの願い
「八条半・憶光年」プロジェクト完成後、村民委員会が主体となって企業と運営契約を締結した。最初の3年間は毎年15万元の集団収入増を実現し、4年目以降は毎年7%ずつ増加している。企業は地元の村民17人を観光エリアで雇用し、1人当たり月2500~3000元の収入増となった。さらに村民は観光資源を活用し、自宅の庭先でバーベキューや無農薬野菜、果物、ちまきなどを販売し、各戸で年間約1万元の増収を達成している。まさに「家を離れずに就業・起業」を実現したのである。観光エリアの営業開始以来、来訪者は延べ20万人を超え、売上は300万元以上に達した。
起業が一定の成果を見せ始めると、林さんは次の発展を考え始めた。
「現在、村では宿泊サービスを提供できていません。今後は裏手の空き地に『カプセル型宿泊施設』を導入したい。また、レジャー施設の種類やフォトスポットもまだ十分ではなく、改善すべき点は多くあります」と語る。
林さんにはさらに大きな願いがある。
「村の収入が出稼ぎを上回るようになれば、人々はきっと戻ってくるでしょう。党と政府がこれほどまでに故郷の建設に力を注いでくれている以上、党員として、この『幸福村』のより良い暮らしのために一層努力しなければなりません」
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