辺境の末端から開放の最前線へ――雲南・河口取材記

2026-06-29 14:38:00

境界を越える「生命線」と「生活圏」 

于文 蔡夢瑶=文  

絶え間なく流れる貨物は、両国を結ぶ越境大橋を経て行き来している。河口には、こうした橋が四つ存在し、中越国境の往来を支えている。百年の歴史を持つ中越鉄道橋は通商の歩みを見守り、中越南溪河道路橋は人と車の分離通行を実現し、中越紅河道路橋は現在の旅客貨物輸送の中核幹線となっている。さらに建設中の中国―ベトナムバーサット紅河国境道路橋は、新たな開放ルートを加えることになる。 

これら四つの橋による「二国を結ぶ四橋」構造は、「橋を一つ渡れば別の国」という移動を日常通勤のように身近なものにしている。橋が担うのは単なる物流ではなく、両国の人々の生活の隅々にまで及んでいる。その中には、「命を守る通路」も含まれている。 

隣国にも開かれた医療 

河口の中越国境口岸から2足らずの場所に河口県人民医院がある。院内の案内表示は中国語英語ベトナム語の3言語で記されており、ここを訪れるのは地元住民だけでなく、多くの外国人患者も含まれている。 

院長の徐安扣さんは、つい最近の出来事を語った。 

春節(旧正月)期間中、90歳のベトナム人高齢者が突発性の肺疾患で危篤状態に陥り、救急搬送の要請が入った。患者本人が移動困難であったため、病院は直ちに、ベトナム人患者向けの越境緊急医療体制を活用し、複数部門の連携により、通関検査申請などの手続きを最大限簡略化した。その結果、中越両国の救急車は国境橋の中央で「シームレスな引き継ぎ」を実現し、患者は迅速に病院へ搬送された。1週間にわたる慎重な治療の末、高齢者の容体は安定し、無事帰国することができた。 

河口では、ベトナム住民の越境医療はすでに珍しいことではない。県人民医院は1952年の設立以来、ベトナム人患者を受け入れてきたが、長年にわたり言語や通関、支払いといった問題により、医療は散発的で円滑とはいえない状態にとどまっていた。 

しかし近年、中越の運命共同体関係の深化に伴い、河口は主体的に取り組みを進め、国境地域という立地を生かして、標準化利便化効率化された越境医療サービス体系を構築した。ベトナムラオカイ省との間で複数の協定を締結し、25回にわたる二国間の越境医療協力に関する専門会合を重ねている。現在ではベトナムに加え、シンガポールやマレーシアなど複数国の患者も受診している。院内には6人の通訳が配置され、受付から検査、診療、支払いまで、全過程で言語支援が提供されている。 

腰の疾患で入院中のベトナム人患者ドゥティホンギーさんはこう語る。 

「自宅からここまで200以上ありますが、家族が以前ここで治療を受けた経験があり、勧められて来ました。環境が良く、医師や看護師もとても親切で、何より医療技術が高いのです」 

彼女は西洋医学の治療に加え、鍼灸しんきゅう推拿すいなといった中医療法も受けている。「最初ははりが少し怖かったのですが、効果ははっきり感じています」と述べた。 

昨年には、延べ1万2000人以上の外国人患者がこの病院を訪れた。徐院長は言う。 

「医は仁術です。国籍にかかわらず、医師の前ではみな患者であり、全力で救います。これまで県と病院が行ってきたことは全て、ベトナムの国境住民に包括的で手頃な医療保障を提供するためであり、それは隣国にも、地域全体にも恩恵をもたらすものです」 

ある中越家庭の日常 

もし県人民医院が専門的な越境の「生命線」を築いたのだとすれば、河口の町の至る所でより日常的に見られるのは、開放と往来によって結び付き、無数の家庭によって形づくられた「生活圏」である。「海防賓館」を営む夫妻――王水雲さんとブーティトゥさんもその一例である。 

夫の王さんは河口の地元出身、妻のブーティトゥさんはベトナムハイフォンの出身だ。二十数年前、ブーティトゥさんは家族と共に河口に来て商売を始め、2人は出会い、恋に落ち、やがて結ばれた。結婚後、王さんが旅館を開こうとすると、ブーティトゥさんは全力で支えた。「海防賓館」はこうして20年以上続いている。 

旅館は中越の国境河沿いに位置し、窓を開ければ対岸のベトナムが望める。この特別な立地に加え、女将が流ちょうなベトナム語を話せることから、ここは多くのベトナム人観光客にとって第一の選択肢となっている。 

「通関が便利なので、ベトナムのお客さんがよく来てくれます。言葉が通じないときは私が通訳して、いろいろ助けているんです」 

河口なまりの中国語で、ブーティトゥさんは笑いながらそう語る。 

「ここに来ると、まるで家に帰ってきたみたいだと言ってくれます」 

この自然な親しみやすさと利便性こそが、多くのリピーターを生んでいるのである。 

夫妻には一男一女がいる。息子は広東外語外貿大学を卒業後、さらにベトナムで1年間語学を学び、将来は広東で働くことを希望している。娘は現在、ベトナムの大学4年生だ。子どもたちの将来について、ブーティトゥさんは素朴にこう語る。 

「今は中越の往来が増えて、チャンスも多い。ベトナム語ができれば、仕事の選択肢も広がるでしょう」 

王さんはにこやかに続ける。 

「どこで働くにしても、地に足をつけて、社会にとって役立つ人間になってほしいです。そして中越両国のために、具体的に役に立つことをしてほしいですね」 

     * * * * * * * * *

河口で過ごした数日の中で、私たちは百年の歴史を持つ国境の町が新たな姿へと生まれ変わる様子を目の当たりにした。人々は村をより美しく、より住みやすくする方法を模索し、通過するだけの商機を地域産業へと転換しようと工夫し、そして日々の暮らしの中で、ごく自然に対岸の隣人との距離を縮めている。 

生活環境の改善、機会の創出、善意の共有を通じて、住民はこの地にとどまり、往来はより密接になり、国境の内外に生きる人々は互いに発展とぬくもりを分かち合う隣人であると実感している。国境が人々の安居と往来の場となるとき、安定と繁栄は最も確かな基盤を得るのである。 

人民中国インターネット版 

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