中国農業の現状と未来
新農業県平度市を訪ねる
山東省の山東半島の中央に位置する平度市は、青島市の管轄下にある面積三一六六平方キロ、人口一三一万の中都市である。東は大沢山、西と南は平原で、昔は作物のあまりとれない貧乏県だったが、改革開放後、勤勉な平度の人びとの努力が実って全国でも有名な農業の先進地となった。
適地適作
平度で取材した時、至るところでその熱気に感動させられた。市場経済の流れに乗って、農民たちが自分たちの才能と地元の特徴を生かして、地方の経済を発展させた。
大沢山地区はかつては貧しい山間地だったが、今は全国でも有名な「ブドウの郷」となった。同地区のブドウ畑は六百四十ヘクタールあり、ブドウ収入だけでも年収は戸あたり五千元になる。お金に余裕ができた農民は新しい家を建てたり、電話をつけたりするようになった。
大沢山の東にある代田鎮は有名な「リンゴの郷」で、リンゴだけの年収が戸あたり七千元である。取材にいった時、ちょうど取り入れの季節にあたり、道路はリンゴの運搬車でいっぱいだった。大沢山の西にある昌里鎮は養蚕の基地で、戸あたり桑畑が二〇アールあり、年収は五千元を超えている。
平度城の南にある仁兆郷は大沽河の沖積平原である。水が豊富なうえに青島市に近いので、農民たちは地の利を生かして大規模に野菜を作っており、野菜専業の村が五十五、総生産高が四万トンに達して野菜だけの年収が戸あたり四千元を上まわっているという。
「トウモロコシの郷」といわれる郭荘鎮は畜産にも力を入れ、牛一万五千頭、ブタ二万六千頭、家禽百万羽を飼っている。ここでは生物チェーンを導入し、牛↓ブタ↓家禽↓魚と糞を飼料に使い、魚の池の泥は畑を肥やす。こうして飼料は節約され、収入も大幅に増える。
平原の万家鎮は昔から「スイカの郷」として有名であるが、最近は競争が激しくなったので、スイカの収益が下がってしまった。農民たちはいろいろ考えたあげく遅く収穫するスイカを開発した。その結果、例えば陳衛東さんであるが、彼は昨年収入が一万元ふえたそうだ。
面白いのは灰阜鎮というところである。ここは草が多いのでバッタが繁殖する。誰れかが都会では「げてもの」を食べるのがはやっていると聞いて来て、バッタをつかまえて町のホテルに持っていったところ、よく売れた。そこで、毎年秋になると、大勢の農民がバッタ商売に精を出し、つかまえる者、買う者、運ぶ者で、全鎮の年収は百万元を上回り、一番儲けた家では五万元を手にしたそうだ。
「両田制」と新耕作者
最近の農業の大きな変化は何と言っても穀物生産の発展にある。科学技術特に海外から多くの新技術を導入したことによって食糧の生産高は大幅に上がった。全県十三万ヘクタールの田畑は総収穫高が百十万トン、一ムー(六·七アール)あたりの平均収穫量は五百五十キロ、一トンを超えた農地が三万三千ヘクタールあり、「トン田」と呼ばれている。今世紀の末までにはこういう「トン田」が六万六千ヘクタールに達し、「一·五トン田」も出てくる見込みである。
平度にはかつて二回の土地制度改革があり、これが食糧増産を促進した。一回目は一九七八年のことで、それまでの集団経営の土地を各戸の請負制度に切り変えた。農民たちは適当な請負費を納めれば、残りは自分のものになるのだ。この改革が農民たちの生産意欲をよび覚まし、収穫は倍増した。
その後市場経済時代にはいると、農村の若者が田舎を離れて、都市や外国にまで出るようになり、残った者も早く多く儲かる副業に精を出すようになって、一時は草だらけの土地も出た。請負人は秋になるとお金や買った食糧を納めて済ましてしまうのである。もう一つの問題は、各戸に配分された土地がばらばらで機械の使用や科学的管理に不便があり、収穫量も上がらないことだった。そこで農民の自発的意思に基づいて「両田制」を実施した。「両田制」というのは、土地の一部は自家用米をつくる田として残すが、その他の土地は商品生産田として、村の手で耕作希望者に使用権を競売する。意欲と力のある人なら誰でも請負うことができるし、荒れ山、水たまりでも請負うことができる。
調査して分かったことだが、農村人口のうち、一七%は農地が不要で、一五%は自家用米を作る田があればよい、四七%がもっとたくさんほしいという状況だった。土地の請負権が競売される日はまるでお祭りのようで、農民たちは一体いくらで落ちるか興味を持って見守っている。昔は一ムーの土地を請負うのに五元しかかからなかったが、競売会では、三百五十元の高価をつけたこともある。この収入は村収入になるのでみんな持分があるのだ。しかし、県が必ず農民の自発的意思によらねばならないと決めているので、すでに九〇%の村は「両田制」を実行したが、今だに昔のまま各戸が土地を請け負って集団農場を作ったり、郷鎮企業の発達した村は農業工場をつくり、土地経営を事業の一部に組み入れているところなど様々である。
現在平度県には大規模農家が九千戸近くあるが、うち外来が千戸で、蓼蘭鎮の外来請負人の中には台湾の商人もおり、共同で約四百ヘクタールの土地を請負っている。期限は五十年で毎年多額の請負費を納めており、その請け負い方式は村民と全く同一である。
「両田制」のおかげで平度の農業は再び大発展を遂げた。大規模農家は機械と科学技術によって働くので、一人あたり毎年三千六百五十キロの穀物をつくり、七千六百元の価値を生んでいる。一九八八年以来、平度は全国二千三百余の県·市の中で、食用油原料生産一位、食糧八位、綿花四十三位、肉類七十七位の地位を保っている。
平度の「両田制」は国務院の専門家に「百万農民の偉大な壮挙だ」と称えられた。
上一页13下一页 |