中国農業の現状と未来
「農業第一人者」を訪ねる
張戈荘のトウモロコシをいっぱい積み上げたある穀物干し場で、劉先鋒さんに会った。彼は十ヘクタールの耕地を請負い、この夏には国に小麦を五万キロ納め、五万元の収入を得た。
劉さんは誇りに思っている。国に多くの食糧を納めたため、彼は青島市から「農業第一人者」の称号をもらった。作物を多く作れば収入も多くなるわけで、彼は村一番の金持ちとなった。
彼も昔は百姓を軽蔑したという。しかし、大規模農業をはじめてから土地が好きになってきて、テレビの農業講座は毎日聞いているし、農作業関係の新書を見つけたら必ず買っている。話が新技術に及んでくると、日本の白色革命(ビニールハウス栽培やマルチフィルムの利用)から、アメリカの混合施肥とか、イスラエルの点滴灌漑までよどみなく語ってくれた。
穀物干し場一帯は彼が請け負った土地で、近くにコンクリート造りの碑がある。
碑にはこの土地が「保護田」であると書いてある、つまりここで土をとったり、建物を建てたり、墓を立てたり、果樹園などほかの用途に転用することをいっさい禁止しているのだ。
請け負った土地では『土地法』を守らなくてはいけない。毎年化学肥料のほか、かなりの有機肥料を施すことも義務づけられて、町の技術員が随時チェックに来て、要求水準に達していないと罰金を払わされることになっている。
『土地法』にひどく違反する場合は請負資格まで取り消される恐れもある、と劉さんは言っていた。「みんな注意しているよ。請負権を競り落したのも、それで儲かると思うからだ。取り消されたら夢も泡になってしまうからね」
二十名くらいの男女が、わたしたちのまわりでトウモロコシをひっくり返したり、唐辛子をつまんだりしていた。彼らは劉さんが雇った人で、王さんという女性は、自家用地の仕事を終えてからパートでお金を稼ぎに来ていると言っていた。劉さんについて、大規模な請け負いはリスクも大きいので収入が多いのは当然だと言う。「風や雨の時、ほかの人は大して心配することはないけど、劉さんたちは心配しどおしだ。大災害に会ったら丸損になるからたいへんだよ」
すべては農業のために
張荘鎮にいた時、そこのビニールハウスは鎮長の張平さんの指導で建てられたものだと教えられた。彼はすでに転勤していたが、農民たちは口々に彼が科学技術によって耕作を指導してくれたことを賛え、彼こそ「真の指導者だ」と言っていた。
平度では、農業技術の勉強がブームになっており、幹部と農民に学習機会を与えるため、市は多くの研修班を設けた。この三年間で、各種の研修班に参加した人は四万五千人を超え、一九九四年、日本人のプロ二人が果物栽培の講座をやってくれた。また市内には、ドイツのサイドル基金会の援助で建てられた農業技術学校もあり、毎年中級専門技術者を百八十人養成している。
あるビニールハウスの壁に「明白紙」(解説メモ)が貼ってあった。内容はどうやってキュウリの苗をカボチャに接ぎ木するかを分かりやすく書いたものであり、学校から帰ってきた男の子が接ぎ木をしていたので技術的な質問をしたら、すらすらと答えてくれたのにはびっくりした。
その解説メモは野菜協会が作ったもので、平度にはこういった協会が百八十六あり、会員は七千人を超えている。政府の作った総合農協もある。市内には八つのサービスセンター、鎮には十のサービスステーション、村にはサービス係りがおり、資材購売、管理、生産物購売などの系統的なサービスを提供する。
馬戈荘で私はあるサービスセンターを見学した。道路に面した店舗には「農業機械修理工場」や「農作物医院」の看板がかかっており、農機の部品販売や修理、農薬の販売や病虫害防除に当っている。収穫前になるとサービスセンターが四百余の農民に物品注文票を届ける。農民はそれに欲しいものを書き込むだけで、何でもとどけてくれるそうだ。
市政府は農家への奉仕に力を入れている。もし生産の上らない村があれば、すぐに工作隊を派遣し、特別の指導をする。保険会社も農村向けにいろいろの保険をはじめたし、郵便局も安く電話をつけるなどサービスを提供してくれる。この百万人農業県は経済が発展する一方で人口出生率が下がり、上海市と同じように人口はマイナス成長に転じた。
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