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敦煌と日本の縁

2022-10-14 17:13:00 【关闭】 【打印】

植野友和=文 


無形文化遺産・敦煌彩色塑像の伝承者である杜永衛さん(右側)と交流する筆者(写真・人民中国) 

日本人が敦煌に寄せる思い  

中国の北西部に位置する甘粛省敦煌市。古代より東西交易の要衝として栄えてきたこの地は、世界遺産・敦煌莫高窟に代表される仏教美術をはじめとして、往時の繁栄を今に伝える遺跡の数々、さらには美しい自然など人々の心を捉える多くの魅力に満ちている。 

紀元前121年、前漢の武帝の時代に敦煌は漢の版図に組み込まれ、西域経営と交易の拠点として繁栄が始まった。ユーラシア大陸を横断する交易路のシルクロードを通じ、絹をはじめとするさまざまな交易品や文物がこの地を行き交う中、多様性に満ちた文化が育まれてきた。 

敦煌と聞いてわれわれ日本人がまず思い浮かぶのは井上靖の小説とそれを原作とする1988年の中国・日本合作映画『敦煌』、加えてシルクロードをテーマとする多くのドキュメンタリー番組だろう。また、日本と敦煌の縁においては、敦煌やシルクロードに関する作品を数多く残しただけでなく、敦煌莫高窟の保存にも生涯関わり続け、「敦煌を最も愛する日本人」と称された画家・平山郁夫の存在も大きい。かくいう筆者も学生時代、井上靖の西域小説をむさぼり読み、この地に思いをはせた経験を持っている。果たして敦煌とはいかなる土地で、どれほどの価値を持つ歴史遺産が残されているのか――そんな思いは歳を重ねるにつれ、やがて薄れていったのだが、この夏自分は全く予期せぬことに出張で現地を訪れる機会を得た。控え目に言っても夢のような仕事であり、期待に胸を弾ませ、喜び勇んで現地入りしたのだった。 

  

敦煌で民間交流の価値を知る 

まず敦煌に着いて感じたのは、日本との深い縁である。今回の取材テーマは敦煌文化の紹介であったため、現地で暮らす文化人と交流を持ったのだが、その多くが文化財の保護や研究などで日本と何かしらの交流経験を持つ人々で、日本人である自分の訪問を大変喜んでくれた。それはまるで古い友人と再会したかのような、自然体かつ真心のこもった歓迎である。もちろん言うまでもなく、自分にとっては会う人全てが初対面。でも、なぜか他人と思えないような不思議な気持ちになった。 

例えば、無形文化遺産・敦煌彩色塑像の伝承者であり、長年仏像の修復に携わっている杜永衛さんに会った際、こちらが中国語で話し掛けると、「おや、日本の方ですか」と流暢な日本語が返ってきた。ご本人は「もう日本を離れて20年以上たつので自信がありません」と謙遜するものの、言葉は全くさびついていない。話を聞いているうちに、杜さんはかつて東京芸術大学に留学して東洋美術史を学んでいたと知り、なるほどと思ったわけだが、驚きなのはこういう人に行く先々で続々と出会うことだ。 

陽関博物館の館長である紀永元さんは、井上靖や日本の歴代首相を案内したときのエピソードをとても懐かしそうに語ってくれた。また、敦煌研究員接待部の元主任である馬競馳さんは、敦煌の壁画保護に功績を残した画家の平山郁夫との思い出を語りつつ、「これが平山先生の自宅に泊めてもらった時の写真です」と貴重な資料を見せてくれた。自分にとって今回の取材は敦煌文化に触れる旅であると同時に、両国の先人たちによる文化交流の足跡をたどるものでもあった。 

もう一つ敦煌で驚いたのは、文化財保護や美術研究に携わる人だけでなく、一般の方でも普通に日本語を解する人が意外に多いことだ。その理由は単純明快で、90年代の敦煌で外国人観光客といえば日本人が大半を占め、仕事で使うために言葉を学ぶ人々が多かったことから、今でも話せる人が結構いるというのである。敦煌は甘粛省の西の果てにあり、すぐ隣は新疆ウイグル自治区で、いくら世界遺産があるとはいっても日本から気軽に行ける場所ではない。それでもシルクロードブームが起きた90年代、まだ交通インフラも観光施設も整っていない時代に、日本からの観光客がこの地に大挙して訪れたというのだ。 

その後、ブームが落ち着いて日本人観光客は減っていき、現在は新型コロナウイルス感染症の影響で海外からの旅行者はほとんど見掛けなくなった。それでも現地の人々は、30年前の思い出をまるで最近のことであるかのように自分に語ってくれる。学術や観光を通じての民間交流とはこれほど人々の心に響くものなのかと、驚きを禁じえなかった。これまで自分は両国の友好に携わる人々から「民間や草の根の交流が大事」といった話を何度も聞かされてきたが、実はあまりピンときていなかったというのが正直なところだ。だが、今なら分かる。たとえ両国の関係が複雑化したとしても、しっかりとした民間交流の積み重ねがあれば、話し合いの素地までは失われない。今回の敦煌取材では莫高窟の壁画や漢代の長城跡、砂漠に沈む夕日など多くの感動があったけれど、自分にとって一番大きな収穫は、文化を通じた民間交流の価値を理解できたことだと思っている。 

  

敦煌ブームの再来を夢見て 

さて、海外の観光客が気軽に敦煌を訪れることができない現在でも、現地は古代シルクロードの時代さながらに多くの人々でにぎわいを見せている。中国では近年、国内旅行が大きなブームとなっており、旅行先として敦煌を選ぶ人は少なくない。多くの方のお目当てはやはり敦煌莫高窟などの世界遺産だが、それだけでなく美しい自然を満喫できるネイチャーツーリズムも人気を博している。敦煌は市内から少し離れると、一面砂漠の世界である。古代には遠くインドやペルシア、西欧などからも中華の地を目指して多くの旅商人がこの地を通り、同じ光景を目にしたのだと思うと、実に感慨深いものがある。また、砂漠の中のオアシス都市・敦煌にはご当地グルメも盛りだくさんだ。羊と平べったい麺をとろ火で煮込んだ「胡羊燜餅」、コシのある麺にロバ肉をのせた「驢肉黄麺」などの粉もの料理はとりわけ絶品で、一度味わうとまた敦煌を訪れたいという気持ちになる。 

歴史、文化、そして日本との深い縁……これほど見どころあふれる都市を、偶然とはいえ訪れることができたのは、自分にとって実に幸運なことであったと思う。同時に、この町の魅力をぜひ一人でも多くの同胞の方に感じていただきたいというのが率直な願いだ。自分の文章では心動かされなかったという方は、ぜひ井上靖の名著『敦煌』を読み直すか、ユーチューブで敦煌やシルクロードにまつわるドキュメンタリーを見るといい。自らの目を通じて見る敦煌は、きっとあなたに小説や映像作品で得られる以上の感動をもたらしてくれるに違いない。 

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