女媧の補天の神話息づく 故事と太極が交わる古都
影絵芝居に映る庶民の暮らし
牛皮に刻まれた千年の光と影
暖かなオレンジ色の光が幕を照らす。牛皮で作られた斉天大聖(孫悟空)が筋斗雲に乗って跳び回ると、観客席の子どもたちが歓声を上げる。その幕の裏では、張迎風さんが全神経を集中させ、手に握る3本の棒を丁寧に操っている。彼は「冀南皮影(影絵芝居)」の5代目伝承者であり、馬寨皮影劇団を率いて得意の演目『西遊記』を上演しているところだ。
毎週土曜の夜、邯鄲市肥郷区の馬寨村にある小劇場は、まるでお祭りのようなにぎわいを見せる。親子連れが続々と訪れ、幕の向こうで繰り広げられる皮影芸人たちの妙技に釘付けになる。張さんは腕を振り、跳び、足をふんばり、額からは汗が滴り落ちるが、彼の操る皮影の人形たちは微細な動きを寸分違わずこなしていく。この技を身に付けるには、長年の鍛錬が必要だ。夜明け前から発声練習を行い、夜には操り棒を持ったまま馬歩の姿勢(空気椅子のような体勢)を保つ。冬の極寒にも夏の炎暑にも負けず、日々修練を重ねるのが影絵師の道だ。
冀南皮影の劇団は通常、七、八人の熟練した職人で構成され、それぞれが独自の技を持っている。その中でも最も目を引くのが「操り手(掫簽)」の役割だ。彼は同時に2体、3体の人形を操り、武芸の腕比べの場面を演じ分ける。左手で趙雲、右手で関羽を操りながら、足元は太鼓のリズムに合わせて円を描くように動く。厳冬の野外公演では観客が厚手の綿入れを着込んで震えていても、操り手は薄い衣服のまま汗を流している。他の団員も多才だ。どらを打つ者は女役の声を担当し、弦楽器を弾く者は手が空いたときに人形の位置の調整を手伝う。皆、一芸に秀でるだけでなく、10種もの芸を身に付けるのが当たり前なのだ。
公演が終わると、子どもたちはわれ先にと舞台裏へ駆け込み、興味津々に皮影の人形を眺める。張さんは影絵人形を一つ手に取り、子どもたちに語り掛ける。「これは先代から受け継がれた人形で、50年以上も前のものだ。でも、うちの劇団では『一番若い』方なんだよ」。子どもたちは夢中で見入る。牛皮に描かれた彩色は、まるで作りたてのあめ細工のように鮮やかだった。
影絵人形は牛皮で作られているため丈夫で長持ちする。その鮮烈な色彩が時を経てもあせないのは、太行山のエンジュの木の樹液に100日以上漬け込んで染め上げるためだ。この伝統技法により、千年を経ても腐らない耐久性を持つという。
馬寨村の朝、ニワトリの鳴き声が響く頃、皮影職人の郭海洋さんはすでに作業台に向かっていた。明かりに透かして琥珀色の光を帯びた牛皮の新作をじっと見つめる。作業台には祖父の代から受け継いだ魚骨刀や、まだ彫刻の途中の牛皮が散らばっている。何十年にもわたる鍛錬の末に、彼の手は迷いなく動き、正確に、そして鋭く刻み込む。数回の刃の動きで、趙の武霊王の横顔の輪郭が次第にくっきり浮かび上がる。「皮影人形は必ず横向きで表現します」と郭さん。「これを『半面で乾坤(世界)をのぞく』と言うんですよ」
始皇帝の故郷で愛される朝食
郭さんと一緒に邯鄲市の中心部へ戻ると、すでに町は目を覚まし、路地裏まで朝食の香ばしい匂いが漂っていた。適当な屋台を見つけ、席に着く。彼が熱心にすすめる邯鄲名物、「驢肉巻餅(ロバ肉巻き)」を注文した。
店主の趙さんが生地をこねながら語る。「うちでは清の光緒帝(在位1875~1908年)の時代からこの鍋を使ってるんだ。毎日新しい水を足すけど、スープのだしは決して捨てないよ」。本場の驢肉巻餅には、太行山で3年以上放牧された黒ロバの肉が使われる。肉はエンジュの薪で6時間かけてじっくり煮込み、仕上げに花椒塩を青灰色の石板の上でもみ込んで味をなじませる。
趙さんが鍋のふたを開けた瞬間、ハッカクやソウカをはじめ20種類以上の香辛料の香りが混ざり合った湯気がふわりと立ちのぼる。その香りに食欲をそそられながら待っていると、熱々のロバ肉が巻餅(小麦粉の生地を薄く焼いたもの)に包まれて、手渡された。「冷めると味が落ちるから、熱いうちにね」。客が満足げに頬張る様子を見て、趙さんはほほ笑み、「秦の始皇帝も子どもの頃、この町にいたんだから、きっとこの味が好きだったんじゃないかな?」と冗談めかして言う。そして、路地の入り口に立つ石碑を指さす。そこには「始皇故里」と刻まれているが、長年の風雨にさらされ、その文字はすでにかすれていた。
上一页12 |