丹霞の岩壁が語る仏教史 れんがに花咲く彩陶の里

2025-07-04 10:03:00

甘粛省南部、黄土高原とチベット(青蔵)高原の境目では、黄河とその支流洮河(とうが)が「半江碧水半江濁(川の水の半分が澄んで、半分が濁っている)」という奇観を生み出している。ここに位置する臨夏回族自治州は、古代シルクロードの要衝として、5世紀に開削された仏教石窟群を守り続けてきた。この地に代々暮らす職人たちは、灰色れんがの刻痕と彩陶の破片で、数千年にわたる文明の暗号を再現している。 

今月号の「美しい中国」では臨夏を訪れ、丹霞の山々と黄河の波間に生きる文化の守り人たちに迫る。 

黄河の腕に抱かれた石窟 

岩間に眠る伝説 

早朝の柔らかな光の中、臨夏の西に位置する積石山はうっすらと霧に包まれていた。山間の峡谷では黄色い河と青い黄河が、まるで天地が溶け合って生まれた「陰陽太極図」のように絡み合っている。ガイドが岸辺の岩肌を指さし、「この峡谷は大禹(古代中国の伝説的な治水の英雄)が斧で切り開いたという伝説があります」と説明する。地元に代々伝わる物語だ。 

伝説によれば、太古の時代、そびえ立つ積石山が黄河の流れを阻んでいた。雨季になると洪水が頻発し、人々は苦しめられていた。大禹とその民衆たちは、石斧や石刀など粗末な道具で積石山で日々奮闘し続け、ついには岩を切り崩し、黄河の流れをよくし、水害を解決したという。 

中国古代の歴史書『尚書禹貢』には、大禹が「積石山より黄河を導き、龍門に至る」との記述がある。このため積石山は大禹の治水工事の起点とされている。黄河南岸には高さ約3、直径10超の巨石がそびえ、表面に「禹王石」の3文字が刻まれている。「あれは大禹が休息を取った場所で、すぐ先には大禹が(みずち)を退治した崖があります」と、黄河沿いでガイドを20年間務めてきた回族の男性が説明する。彼は岩層のしわ一つ一つに秘められた伝説を熟知しているようだ。 

朝霧が晴れる頃、劉家峡ダムを船で進んでいくと、川幅が急に狭まり青い翡翠の帯のようになった。両岸の赤褐色の山肌は斧で切り裂かれたように層をなし、天地の間に斜めに差し込まれた古書の束のように見える。流れを十数さかのぼると、水面が突然、金と赤のきらめきを放ち始めた――朝日が峰の頂きに静かに昇り、丹霞地形の石林全体を溶岩のような赤い輝きで染め上げたのである。 

ここは炳霊石林。白亜紀の紫紅色をした細粒砂岩が堆積して形成された丹霞地形の奇観だ。船の速度が緩むにつれ、霧の中から鉄錆色の岩塊が姿を現し、朝日に照らされて金属のような光沢を放つ。灰白色の地層は石膏のように冷たい質感を見せている。「この砂岩の硬度は青銅に近く、職人が細部まで彫刻しやすい上、柔らかい黄土より風化に強い。まさに石窟を掘るのに理想的な岩盤です」。ガイドが説明すると間もなく、船は狭い河道に入った。見上げると、巨大な仏像が厳かに座し、穏やかな表情で川面を見下ろしていた。 

絶壁の「仏教博物館」 

船が岸に着くと、金色に輝く陽光が崖肌を照らしていた。黄河の湾曲部にそびえる垂直の断崖は天然の避難港(1)を形成しており、約1600年前の五胡十六国時代、西秦の僧侶たちはこの地形に着目し、岩壁に仏教石窟を作り始めた。その後、十数王朝にわたり増築と改修が繰り返され、現在の炳霊寺(へいれいじ)石窟が形作られた。 

「炳霊」はチベット語で「十万の仏」を意味する。数に及ぶ断崖には200を超える洞窟と仏龕(ぶつがん)が点在し、中に800体以上の彫像と約1000平方の壁画がある。洞窟群は山の傾斜に沿って配置され、高低差のある桟道で連結されている。20世紀半ば、水位上昇から石窟を保護するため、その前面に高さ20近くの防護堤が築かれた。 

防護堤に沿い、唐代の巨大仏像の足元から崖と同じ赤褐色の桟道を登ると、まるでタイムトンネル(2)に足を踏み入れたかのようだ。数字が記された洞窟は、展示ケースのように、各時代の仏像の様式――西秦の勇壮でたくましい作風、北魏の繊細で清らかな姿、北周のふくよかで玉のような滑らかさ、隋唐の豊満で誇張された造形、宋代の個性豊かで写実的な表現――を現代に伝える。これら時空を超えた「収蔵品」が、断崖に築かれた「仏教博物館」の全貌を形作っている。 

最上部の169窟に至ると、窟口から涼風が流れ込んできた。内部には西秦時代の仏像が多数あり、剛健な造形と流麗な線条が特徴だ。壁画に描かれた人物の衣には、鮮やかな青と藍の顔料が今も色あせずに残っている。石窟の北壁には「建弘元年」(420年)と記された墨書の題記があり、現存する中国最古の石窟題記として確認されている。 

ガイドの説明によれば、仏教をあつく信仰した西秦の君主は太子の冊立を祝い、420年に元号を「建弘」に改めた。この重大な出来事を記念し、当時の高僧たちは「皇家寺院」である唐述窟(現在の炳霊寺)を大規模に改修。約500字に及ぶ「建弘題記」を残したという。 

1000年以上の時を経て奇跡的に保存されたこの題記は、中国の仏像の発展と伝播を研究する上で、極めて貴重な「参考文献」となっている。 

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