江原規由という人

2020-08-20 14:06:12

江原孔江

 

「山本さん、これからはアジアの時代だよ」

これが私が江原規由さんと初めて出会った1977年、最初に聞いた言葉でした。

“理想の国はアメリカ”という英語重点教育を受けた日本の戦後世代の私たちは、太平洋の向こうの国ばかりを見て育ちました。大学では英文科アメリカ文化研究専攻だった当時22歳だった私も例外ではなく、背後にあるアジア大陸の存在は全く意識の中にありませんでした。

それが、いきなり「これからは亜細亜だ!」

はぁ~、アジア?と思った瞬間に、この人の人生ってどんななんだろう、という好奇心の塊となってしまい、気が付いたときには人生を一緒に歩むことになっていました。

夫は現在の独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)バンコク事務所勤務の次に、1993年、大連事務所初代所長として赴任が決まりました。随行して大連という街に住むことになった私。さて、会う人ごとに、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、と言い続けることになるのだろうか。そうだ、まず、ゴメンナサイは中国語で何というのだろうか。早速夫に尋ねたところ「ドエブチーだよ」と教えてくれました。しかし「そんなことを言う機会はないよ」と笑っていたのをよく覚えています。とにかく、ドエブチー、だ。そしてそれが、中国語はニイハオとシェーシェしか知らなかった私の第3番目に覚えた言葉でした。

江原規由さんと中国国際貿易促進会大連分会の張汝仁会長

大連空港に着陸し、タラップを降りて飛行場を歩いてターミナルとおぼしき小さな建物に向かって歩いたとき、この飛行場が将来どんな変容を遂げるのだろう、この風景はきっと二度とないのだろう、と思ったことを今でもよく覚えています。

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