大連事務所設立時はたった一人での赴任。事務所用品の船荷を下ろすための手続きに悩み戸惑いながら、会社印の作成を始め諸事手続きをするために連日連夜休み無しに走り続けました。瓦礫だらけの事務所スペースに日本からオーダーしてきたカーペットを敷き、壁紙を貼り、事務所机や応接セットを置き、大連フラマホテルで開所パーティーをするための招待者リストの作成や赤い招待状の準備、テープカットのための赤い布地(テープではない)の購入、そして、現地職員2名の採用,等々。着々と事務所開設に必死に奔走する日々から6年半の大連駐在生活となりました。私はというと、江原所長から大連商工倶楽部の「会報」作成をボランティアで協力する機会をもらったおかげで、大連の活躍する女性たちにインタビューする機会を得ることができました。急速な経済発展によくあるように、能力ある女性たちが次々と花開き、羽ばたき出します。特に大連はファッションの街として中国で最初のモデル学校が創設され、ファッションショーが華やかに開催されていました。そんなモデルさんの一人、池洋さんを取材し、とてもよい友人になることができました。モデルさんのことは中国語で“モーター”ということも知りました。また、“空中小姓”という、日本語ではとても面白い単語配列になるフライト・アテンダントの劉さん。その水も滴る女性とも、思わず声をかけインタビューさせていただくことができました。“大連のおしん”としで有名なアパレル業界の女性社長、超美人ニュースキャスターや対外貿易委員会の日本語が日本人以上に上手な実力派副会長、経済開発区の超色っぽい副会長等々、みな経済発展のそれぞれの分野の最先端を突っ走っている彼女たちとの出会いも私の大連時代を大いに彩ってくれました。
江原氏は2001年からJETRO北京センター所長を4年間勤め、その後、JETROからの出向という形で2010年に上海で開催された世界博覧会(EXPO)の日本政府館館長というお役目を頂戴しました。そのおかげで、中国各省市のパビリオン代表者や各方面の要人、リーダーをはじめ、世界中からの参加館の方々といろいろな交流の機会を通して、中国の人々を深く理解していくようになっていったのです。
そんな江原氏が「人民中国」の編集長だった王衆一氏と運命的な出会いをすることになりました。王編集長と意気投合した江原氏は2004年1月号に月刊誌『人民中国』の原稿を依頼されたことを大変喜んでいました。しかし、その記事が連載記事となり、連載がなんと16年も続くとは、全く想像もしなかったと思います。
江原氏は、毎月、毎月、今度は何をテーマに書こうかな、と大変うれしそうに、楽しそうに、真剣に、そして大いに悩みながら、テーマを決め、一生懸命取材し、月末に向けて原稿にまとめていくという日々でした。そして原稿の下書きができると必ず私に読んでみてくれ、と言ってチェックを頼むのです。私は、夫にとっては一般読者代表だったようです。よくわからないときは、これでは誰もわからないでしょう、とダメ出し。すると、懸命に書き直しをしていました。また、大変興味深くよくわかるときには、とてもよく書けています、と二重花丸。そのときのうれしそうな様子をみることができたのも、この8月号の原稿を書き上げた6月末が最後となってしまいました。原稿を依頼してくださる王衆一総編集長の面子をつぶさないように、と、ただそれだけを願って、毎月、毎月、全力で書いていました。
月刊誌に連載させていただける光栄を体いっぱいに喜び、力いっぱいその栄誉にお答えしようとがんばった江原氏の姿は、私が出会ったとき、この人の歩く人生を見てみたい、と思ったまさにその姿だったのです。
自分の与えられた仕事を、自分の命の尽きるまで、正直に真面目に一生懸命に駆け抜けた人、それが江原規由という人でした。
人民中国インターネット版 2020年8月17日
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